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四季草花下絵千載集和歌巻(その二十四) [光悦・宗達・素庵]

(その二十四) 和歌巻(その二十四)

和歌巻19.jpg

「光悦筆 四季草花宗達下絵和歌巻」(日本古典文学会・貴重本刊行会・日野原家蔵一巻)

95 ちる花を身にかふばかり思へどもかなはで年の老ひにけるかな(道因法師)
(散る花を惜しむあまり、わが身にかえてもとひたすら思い続けて来たが、それにもかなわず、年ごとに花は散り、わが齢も老いてしまったことだよ。)

釈文(揮毫上の書体)=(『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』)
地(ち)るハ(は)なを見尓(に)可(か)ふハ(ば)可利(かり)思へども可那ハ天(かなはで)年濃(の)老(おい)尓(に)介(け)る可(か)な

※地(ち)るハ(は)な=散る花。
※見尓(に)可(か)ふハ(ば)可利(かり=身にかふばかり。身にかえても。
※可那ハ天(かなはで)=(散る花と命を引き換えにすることも)できずに。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/douin.html

【 道因(どういん) 寛治四(1090)~没年未詳 俗名:藤原敦頼(あつより)
藤原北家高藤の末裔。治部丞清孝の息子。母は長門守藤原孝範女。子に敦中ほかがいる。
従五位上右馬助に至る。承安二年(1172)三月、藤原清輔が催した暮春白河尚歯会和歌に参加、この時「散位敦頼八十三歳」と記録されている(古今著聞集では八十四)。その後まもなく出家したか。歌壇での活動は主に晩年から見られ、俊恵の歌林苑の会衆の一人であった。永暦元年(1160)、太皇太后宮大進清輔歌合、嘉応二年(1170)の左衛門督実国歌合、安元元年(1175)及び治承三年(1179)の右大臣兼実歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合などに出詠。また承安二年(1172)には広田社歌合を勧進した。
鴨長明『無名抄』には、歌への執心深く、秀歌を得ることを祈って住吉神社に月参したとある。没後、千載集に二十首もの歌を採られたが、これは最初十八首だったのを、編者藤原俊成の夢に現れ涙を流して喜んだのを俊成が憐れがり、さらに二首加えたものという(『無名抄』)。『歌仙落書』には歌仙として六首の歌を採られている。同書評に「風体義理を先としたるやうなれども、すがたすてたるにあらず。すべて上手なるべし」とある。小倉百人一首にも歌を採られている。私撰集『現存集』を撰したが、散佚した。千載集初出。勅撰入集四十首。 】

(参考) 『無名抄』(鴨長明著)の「道因法師」周辺

https://polygondrill.com/firstkaruta/list/hi082

(道因歌に志深事)
この道に心ざし深かりしことは、道因入道並びなき者なり。
七八十になるまで「秀歌詠ませ給へ」と祈らんため、徒歩(かち)より住吉へ月詣でしたる、いとありがたきことなり。
ある歌合に、清輔判者にて、道因が歌を負かしたりければ、わざと判者のもとにまうでて、まめやかに涙を流しつつ、泣き恨みければ
亭主、言はん方なく、「かばかりの大事にこそ逢はざりつれ」とぞ、語られける。
九十ばかりになりては、耳などもおぼろなりけるにや
会のときはことさらに講師の座の際(きわ)に分け寄りて、脇許(わきもと)につぶと添ひ居て、みづはさせる姿に耳を傾(かたぶ)けつつ
他事なく聞きける気色など なほざりのこととは見えざりき。
千載集撰ばれ侍りし事は、かの入道失せて後のことなり。
されど、亡き後にも、「さしも道に心ざし深かりし者なり」とて、優して十八首を入れられたりけるに
夢のうちに来たりて、涙を落しつつ、喜び言ふと見給ひたりければ
ことにあはれがりて、今二首を加へて二十首になされたりけるとぞ。
しかるべかりけることにこそ。

(大意)
この(歌の)道に志が深いことにかけては、道因入道の並ぶものはいない。
七、八十になるまで「素晴らしい歌を詠ませてくださいませ」と祈るために
徒歩で、住吉大社(大阪)まで、毎月、月詣でした。
まことに、めったにいない人である。
ある歌合に、藤原清輔が判者で道因の歌を負けとしたとき、わざわざ清輔のもとにやってきて、本当に涙を流して泣き恨んだので
清輔は何とも言いようがなく、「これほど大変な目にあったことはない」と言ったといわれている。
九十歳になって、耳などもはっきりと聞こえなくなると
歌会のときなど、とりわけ講師の席の側に分け行って、その脇に寄り添いひどく年老いた姿で耳を傾けつつ
よそ事などに気をとられることなく聞いている様子などは、いい加減なことのようには見えなかった。
藤原俊成さまが『千載集』に選ばれたときには、すでに道因入道の亡くなくなってからのことであった。
しかし、亡き後でも、「本当に歌の道に志深かった者であった」と評価されて十八首を入れられた。
すると俊成さまの夢の中に道因が来て、涙を流し、うれしく思う気持ちを言えば、
俊成さまはもっとあわれに思われて、もう二首加えて、二十首になされたとのことだ。
まことにそうあるべき事である。

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