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四季花卉下絵古今集和歌巻(その三) [光悦・宗達・素庵]

その三 梅(その二)

四季花卉71・72-1.jpg

「尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展―継承と変奏(東京国立博物館・読売新聞社編)」
所収「1-01 俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆 四季草花下絵古今和歌巻・重要文化財・畠山記念館蔵」(「四季花卉下絵古今集和歌巻」=『光悦……琳派の創始者(河野元昭編)』所収「書画の二重奏への道……光悦書・宗達画和歌巻の展開(玉蟲敏子稿)」) 三三・七×九一八・七

     妻(め)のおとうとを持て侍りける人に、
     袍(うへのきぬ)をおくるとてよみてや
     りける
868 紫の色こき時は目もはるに野なる草木ぞわかれざりける(業平朝臣)
(紫草の色濃き時は目も見張るように、野にある草木も、(紫草の色濃き時は)、その区別がつきませんね。「親しい姉妹をそれぞれ妻にしている私たち二人がお互いに好感情を抱くのは当然のことですね」の意か。)
    大納言藤原の国経の朝臣の、宰相より中納言
    になりける時、染めぬ袍(うへのきぬ)のあや
    をおくるとてよめる
869 色なしと人や見るらむ昔より深き心に染めてしものを(近院右大臣)
(これには色がない(無風流)とあなたは見るでしょうが、実際には、(この無色の、無風流な色合いの中に)、昔から、(貴方に対して)、深く思う気持ちの色合いを込めて染め上げているですよ。)

釈文(揮毫上の書体)=(『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』)

868 無(む)ら左支(さき)濃(の)色こ幾(き)時盤(は)めもハ(は)る尓(に)野那(な)類(る)草木曾(ぞ)可(か)禮(れ)左(ざ)里(り)介(け)流(る)

※無(む)ら左支(さき)濃(の)色こ幾(き)=紫の色こき。紫草の根の色が濃いことで、裏に自分たちの二人の妻が血を分けた姉妹である意が込められているか。
※野那(な)類(る)草木=野なる草木。歌を贈った相手を野にある草木にたとえた。自分の妻の妹を紫草にたとえ、「あなたもその妹と同様に懐かしい」という意を込めているか。

869 以(い)露(ろ)なし登(と)人や見るら無(む)无(む)可(か)しよ利(り)ふ可(か)支(き)心尓(に)曾(そ)め天(て)し物を

※以(い)露(ろ)なし=色無し。色彩の無い意と無風流の意とを掛ける。
※人や見るら無(む)=人や見るらむ。この「人」は歌を贈る相手。
※ふ可(か)支(き)心=深き心。貴方を思う深い心で染め上げているの意。

※※ 業平朝臣(なりひらのあそん)=在平業平

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/narihira.html

【 在原業平(ありわらのなりひら) 天長二~元慶四(825-880) 通称:在五中将 
平城天皇の孫。阿保親王の第五子。母は桓武天皇の皇女伊都内親王。兄に仲平・行平・守平などがいる。紀有常女(惟喬親王の従妹)を妻とする。子の棟梁・滋春、孫の元方も勅撰集に歌を収める歌人である。妻の妹を娶った藤原敏行と親交があった。(以下、略) 】

※※ 近院右大臣(こんゐんのみぎのおほいまうちぎみ)=源能有(みなもとのよしあり)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosiari.html

【 源能有(みなもとのよしあり) 承和十二~寛平九(845-897) 号:近院右大臣
文徳天皇の皇子。母は伴氏。藤原基経の娘を妻とする。子に当純がいる。仁寿三年(853)、源朝臣を賜わって臣籍降下。貞観四年(862)、従四位上に初叙され、貞観十一年、大蔵卿。同十四年、参議。元慶元年(877)、従三位。元慶六年(882)、中納言。寛平元年(889)、右近衛大将に東宮傳を兼任。翌年正三位に昇り、寛平三年、大納言。同八年、右大臣に就任したが、翌年五十三歳で薨じた。贈正二位。藤原因香・国経との贈答歌がある。古今初出。勅撰入集は四首。】

※※※ 「868 紫の色こき時は目もはるに野なる草木ぞわかれざりける(業平朝臣)」

http://www.milord-club.com/Kokin/uta0868.htm

【昔、女はらから二人ありけり。一人はいやしきをとこの貧しき、一人はあてなるをとこ持(も)たりけり。いやしきをとこ持たる、十二月のつごもりに、うへのきぬを洗ひて、手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしき業(わざ)もならはざりければ、うへのきぬの肩を張り破(や)りてけり。せむ方もなくて、たゞ泣きに泣きけり。これを、かのあてなるをとこ聞きて、いと心苦しかりければ、いと清らなる緑衫(ろうさう)のうへのきぬを見出でてやるとて、

紫の色濃き時はめもはるに野なる草木ぞ別れざりける

武蔵野の心なるべし。  】(『伊勢物語・第四十一段』)

http://teppou13.fc2web.com/hana/narihira/ise/now/ise_ns41.html

伊勢四一段.jpg

(『伊勢物語・第四十一段』)


(参考)「四季花卉下絵古今集和歌巻」(竹・梅その一・梅その二)

四季花卉下絵古今集和歌巻一.jpg

「尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展―継承と変奏(東京国立博物館・読売新聞社編)」
所収「1-01 俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆 四季草花下絵古今和歌巻・重要文化財・畠山記念館蔵」彩箋墨書、三三・七×九一八・七

(画像再掲)

隆達節断簡・梅・東京国立博物館.jpg

B図「四季草花木版下絵隆達節小歌巻断簡」 画像番号:C0036766 32.9×81.0 東京国立博物館蔵
【 花卉摺絵隆達節断簡 伝角倉素庵 一幅 紙本金銀泥摺絵墨書 33.0×81.3 東京国立博物館蔵  】(『琳派―版と型の展開(町田市立国際版画美術館編)』出品目録二)
【 隆達節断簡 俵屋宗達下絵 一幅 彩箋墨書 32.9×81.0 東京国立博物館蔵 】(「尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展―継承と変奏(東京国立博物館・読売新聞社編)」出品目録1-08)

【(前略) 胡粉地の料紙に、梅・蔦・藤・細竹・太竹の図様を金銀泥で摺ったもので、一つの版木を幾度も重ね摺りし、金銀泥の変化をつけて大胆に画面を構成するなどの工夫があり、無造作に捺された版画に生じた捺しムラが「たらし込み」に通じる効果を見せている。草花を大きくクローズアップするのは、宗達金銀泥絵と共通した特色であるが、なかでも最も複雑な版木の活用法を見せる作品で、新たな巻子本装飾の手法がうかがえる。
隆達の自筆によると、慶長十年(一六〇五)九月、親交のあった茶屋又四郎の求めによって行間に譜付けを加えたことが明らかになる。茶屋又四郎とは、京都の豪商で、朱印船貿易に活躍、家康の信任を得た上層町衆の一人であった。本文は、光悦流随一の書き手角倉素庵(一五七一~一六三二)の筆と伝えられているが諸説があり断定できない。(高橋裕次)  】
(「尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展―継承と変奏(東京国立博物館・読売新聞社編)」出品目録1-08)

(画像再掲)

隆達断簡・隆達署名・素庵筆.jpg

C図「花卉摺絵隆達節断簡」・京都民芸館蔵 (『琳派―版と型の展開(町田市立国際版画美術館編)』出品目録六)

【 (前略) 隆達小歌、隆達節の小歌などとも呼ばれる隆達節は、安土桃山時代、泉州堺の高三隆達が節付けして流行した歌謡である。それらは『日本古典文学大系』の「中世近世歌謡集」に収められている。高三隆達は、小歌の名人として織田信長の前で歌ったことがあり、また堺流書道の名手として豊臣秀吉に召されたともいう。款記にある「自庵」とは『大日本人名辞書』によれば隆達の別号であり、隆達の署名と花押まであるのだから、当然この巻は隆達自筆ということになるのだが、一般にこの小歌巻は角倉素庵の書であるといわれている。
 そこで、隆達の自筆である「遊里図屏風」(ボストン美術館蔵)の片隻二扇に貼られている「隆達節」や巻子の「隆達節」(不二文庫蔵)などと比較して見ると、まるで書風が異なる一方、素庵の「百人一首」(根本家蔵)などとはかなり似ている。しかし、よく比べてみると、同一筆者に帰着させることは、難しいように思われる。光悦流ではあるものの、素庵の書風はより典型化されていて、ややくねくねとしている。そこで、試みに光悦と比較してみると、むしろこれとの共通性のほうが強いのである。これも断定は差し控えなければならないが、少なくとも、素庵よりは光悦のほうにより多くの可能性を認めるべきであろう。したがって、ここでは一応光悦として扱っておきたい。
そもそも、隆達は飛鳥井雅親(栄雅)の流れを引く栄雅流であるのに対し、光悦は光悦流の創始者である。なぜ、先のようなことが起こったのかよくわからない。しかし、改めて注意してみると、歌の部分と款記とは書風が異なっており、前者は光悦、後者は隆達と擬定することができそうである。おそらく、隆達が庇護者であった茶屋又四郎に贈物とするため、光悦に依頼し、特に美しい料紙に自分の隆達節を浄写してもらったのであろう。そして、巻末に署名、年紀、宛名をみずから書いたのである。墨譜を加えたのも、隆達自身であったにちがいない。
 隆達と光悦とは親しい間柄であったはずであるが、ここでは隆達と又四郎との関係が第一義であって、書家や、まして料紙装飾を行なった職人の名などは、本紙上に明示する必要はなかったのである。ちなみに、贈られた茶屋又四郎は、豪商茶屋家の三代目四郎次郎清次のことである。慶長二十年本家名四郎次郎を襲名するまで、又四郎を名乗っていたのである。
(以下略)  】(『琳派―版と型の展開(町田市立国際版画美術館編)』所収「宗達金銀泥絵序説(河野元昭稿)」)

 この『琳派―版と型の展開(町田市立国際版画美術館編)』所収「宗達金銀泥絵序説(河野元昭稿)」(1992年)は、『琳派―響きあう美(河野元昭著)』所収「※第6章 宗達金銀泥絵序説」(2015年)においても、そのまま踏襲されている。

『琳派―響きあう美(河野元昭著)』(思文閣出版・2015年)
(目次)
序 章 琳派と写意      (1989)
第1章  光悦試論   (2011/10-2012/7)      
第2章  宗達関係資料と研究史 (1977)  
第3章  養源院宗達画考 (1987)
第4章  宗達における町衆的性格と室町文化(1990)
第5章  宗達から光琳への変質 (1991)
※第6章  宗達金銀泥絵序説 (1992)
第7章  琳派の主題―宗達の場合 (1994)
第8章  宗達と能 (2003)
(第9章 光琳水墨画の展開と源泉~第16章 渡辺始興筆「真写鳥類図巻」について)
(第17章 乾山の伝記と絵画~第19章 乾山と光琳―兄弟逆転試論)
(第20章 抱一の伝記~第26章 鈴木其一の画業)
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