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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その三) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その三)「シーボルト」の『日本』の「出島のオランダ商館(平面図)」周辺
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=1906465#?c=0&m=0&s=0&cv=8&r=0&xywh=-428%2C0%2C4682%2C5229

「『日本』“NIPPON” 図版第1冊№5 出島のオランダ商館(平面図)」

「p6 出島のオランダ商館(平面図)」.gif
 
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/UniversalViewer/4000115100/4000115100100010/NIPPON_01#?cv=4&c=0&m=0&s=0&r=0&xywh=-694%2C-2%2C2260%2C1000

 この「シーボルト」の『日本』の「出島のオランダ商館(平面図)」は、その表記の「1828」
から、「1828年(文政11)」の、いわゆる「シーボルト事件」が起った年で、その年の「出島」の平面図ということになる。
 この「出島」の「平面図」の原画(元絵)ということになると、次の「川原慶賀」の作などが上げられるであろう。

出島図1.jpg

●作品名:出島図
●Title:Dejima
●分類/classification:阿蘭陀商館、阿蘭陀人/Dejima
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:5996-2
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1411&cfcid=146&search_div=kglist

 この「出島図」は、上記の「平面図」と同じ方向の、画面の下(北側)が、「出島」の入口になるが、この逆の、画面の上(南側)が、その入口になっている次絵図もある。いずれも「ライデン国立民族学博物館」所蔵のものである。この二つの絵図は、その台紙に筆記体の文字や印章など捺されているが、「2枚1組」のように思われる(「ライデン国立民族学博物館」での「登録番号」も掲載して置きたい)。

出島図2.jpg

●作品名:出島図
●Title:Dejima
●分類/classification:阿蘭陀商館、阿蘭陀人/Dejima
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:5996-1
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1408&cfcid=146&search_div=kglist

 ちなみに、「大槻玄沢」関連の「出島図」(関市博物館蔵)のものは、次のとおりである。

出島図3.jpg

●作品名:出島図
●Title:Dejima
●分類/classification:阿蘭陀商館/Dejima
●形状・形態/form:絹本彩色、額装/painting on silk, with amount
●所蔵館:一関市博物館 Ichinoseki City Museum
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3503&cfcid=146&search_div=kglist

(補記その一)「シーボルド事件」で押収された「シーボルト関連の絵図」など(抜粋)

http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_siebold_main.html

【 「シーボルトの所持品捜査押収(原文:内閣文庫文政雑記より翻刻→翻刻省略、一部抜粋)」

文政十一年戌子 →文政11年
十一月十日出島隠密御用手続左之通→11月10日出島の穏密捜査手続(1828年)
        本多佐渡守様御家来    
         御用人   伊藤半右衛門
         目安方   遠藤  兵蔵
                古沢 内蔵助
               矢野 兵大夫
               御役小付両組
                 弐拾人
            右手付探番 小役
右之通十日正六時御役所江相揃、御内密御用之次第承り
右人数手分追々出島江繰入、加比丹部屋ニ而外科阿蘭
陀人シーボルト呼出、左之通被仰渡 →シーボルトを呼出し以下申渡す
          阿蘭陀人
              かひたん江  → 商館長へ
          阿蘭陀人
              シーホルト  → シーボルトへ 
右之者儀江府拝礼罷出候節、高橋作左衛門江度々致面会
日本地図并蝦夷地之図、其外相頼同人より差送候旨
此度於江府作左衛門御詮義ニ相成居候、依之シーホルト
所持之品者荷物ニ至迠致封印置、其方共立会之上封解明
相改、御制禁之品々取上ケ、其余之品ハ無構相渡遣ス、
其旨相心得、正路ニ改を受候様可申渡候
   子十一月            →文政11年11月
右御書付之趣通詞致和解、かひたん江申渡、シーホルト
義一通り御詮義中、同人留守部屋江出役致手分罷越、
所持之手道具并荷物ニ至迄封を付置、出役一同かひたん
召連シーホルト部屋御改ニ相成候所、改出相成候品々
左之通御取上御役所江持帰候事        → 押収品は下記の通り
    一 分間江戸絵図       完
    一 新増細見京絵図      全
    一 琉球国地図        壱枚
    一 絵            壱枚
    一 江戸名所絵        壱枚
    一 装束図式         弐冊
    一 朝鮮国図         壱枚
    一 天象儀象候儀       壱冊
    一 浪華以儀麻道撰      壱枚
    一 凡例           壱枚
    一 大日本細見指掌全図    上紙
    一 脇差           壱腰
    一 刀            壱腰
    一 丸鏡           壱面
    一 書物           壱巻
    一 長崎入口之図       壱冊
    一 絵図           九枚
    一 公家之図         壱枚
    一 古銭           七色
    一 桶狭間合戦略記      壱冊
    一 同古跡記         壱枚
    一 無間鐘由来記録      壱冊
    一 中山刃雉子        壱冊
    一 夜泣石敵討        壱冊
    〆
右之品々シーホルト部屋江有之御制禁之品々ニ而御取
上ケ相成、右之外シーホルト大蔵二軒封ヲ付いまだ御改
ハ無御座候、此内ニ具足・鎗抔も有之様風聞候得共全く
推量之儀共ニ候哉と奉存候 】

(補記二)「シーボルト『NIPPON』内の様々な地図」など(抜粋)

https://map-freak.com/siebold-nippon/

【  目次
1 地図の概要
2 シーボルトと『NIPPON』
-1フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
-2シーボルト事件
-3『NIPPON』の出版
3「日本とその隣国および保護国」(1832年)
4「日本輿地路程全図」(1835年)
5「日本人作成による原図および天文観測に基づく日本地図」(1840年)
まとめ
参考文献

3「日本とその隣国および保護国」(1832年)

日本とその隣国および保護国.gif

 最初に紹介する地図が1832年の第1回配本に掲載されている「日本とその隣国および保護国」と呼ばれる日本とその周辺の地図です。
 この地図は前出の高橋景保による「日本辺界略図(にほんへんかいりゃくず」(1809年)をドイツ語に翻訳したものです。

日本辺界略図.gif

「日本辺界略図」(1809年)

5「日本人作成による原図および天文観測に基づく日本地図」(1840年)

天文観測に基づく日本地図.jpg

「日本人作成による原図および天文観測に基づく日本地図」

 最後に紹介するのが、1840年の第9回配本に収録されている「日本人作成による原図および天文観測に基づく日本地図」という何やら長ったらしい名前のついた以下の地図です。
この地図こそシーボルト事件で問題になった伊能忠敬による日本地図、「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」(通称「伊能図」)をオリジナルとし、メルカトル図法と呼ばれる地図投影法に修正したものです。

伊能図.jpg

基になった「伊能図」(東日本図・西日本図をつなげたもの)

 現代のものと比較しても遜色ないこの地図は、その詳細さゆえに、国防上の理由からその流出がシーボルト事件として問題になったのです。
 そしてこの地図はのちにヨーロッパやアメリカで出版される日本地図の原型となりました。   】

(補記三)日本初公開!!「シーボルト事件」で没収された国禁地図の写しがシーボルト子孫宅で新発見!!

https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p160706/index.html

【 江戸時代後期にオランダ商館付の医師として来日したシーボルトが、ひそかに持ち出そうとして果たせなかった地図の写しが、シーボルトの子孫であるドイツのフォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家で発見されました。
 シーボルトは、国禁の地図を幕府天文方の高橋景保(かげやす)から手に入れましたが、それが帰国直前に発覚し、幕府に地図を没収されてしまいます(シーボルト事件)。今回、人間文化研究機構・国立歴史民俗博物館の調査によって、シーボルトの子孫の家で「カナ書き伊能特別小図」(国立国会図書館蔵)の写しが発見され、シーボルトがひそかに持ち出そうとした国禁の地図が「カナ書き伊能特別小図」であることが証明されました。
 また、高橋景保に対する尋問の詳細を伝える資料はほとんどないとされていますが、その内容を記した文書(個人蔵 国立歴史民俗博物館寄託)が確認され、この文書からもその地図が「カナ書き伊能特別小図」であることを確かめることができました。

企画展示「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」
国立歴史民俗博物館(千葉・佐倉)/2016年7月12日(火)~9月4日(日)

https://www.rekihaku.ac.jp/research/list/joint/2010/siebold/index-j.html

「シーボルト父子関係資料をはじめとする前近代(19世紀)に日本で収集された資料についての基本的調査研究」プロジェクト


シーボルト日本図 秋岡武次郎古地図コレクション 当館所蔵       】
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