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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その十) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その十)「シーボルト」の『日本』の「シーボルトの『日本』家族」周辺

オタクサ(楠本お滝).gif

「オタクサ(楠本お滝)」(シーボルド『日本』図版第1冊44)
元絵: C.H.フイレネ-フェ筆(「別図」あり)
下絵・図版: エルックスレーベン筆(『よみがえれ! シーボルトの日本博物館・監修:国立歴史博物館)
説明: 「27歳のシーボルトは、来日後三カ月も経たない九月に『其扇(そのぎ)』という15歳の阿蘭陀行き遊女を出島に迎えた。其扇の本名は『たき(滝)』、たきの先祖は長崎の海岸部野母崎の住人で、商家(材木商か)を営み、楠本と名乗っていた。」(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)
「来日まもなく一緒になった日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネを1827年にもうける。アジサイを新種記載した際にHydrangea otaks と命名(のちにシノニムと判明して有効ではなくなった)しているが、これは滝の名前をつけていると牧野富太郎が推測している。」(「ウィキペディア」)

アジサイ.jpg

シーボルトの著作『日本植物誌』に掲載されたHydrangea otaksa(Hydrangea macrophylla)の図(原画=川原慶賀画)

(再掲)

イトセ、ソノギ.gif

「Fig. 5 イトセ、ソノギ(シーボルト『NIPPON』)」(「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡(参考二)」)
『NIPPON』 第1冊 図版42「いとせ そのぎ(楠本お滝)」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html
元絵: C.H.フイレネ-フェ筆(「別図」あり)
下絵・図版: エルックスレーベン筆
説明: イトセ(ITOSE)=千歳」と「ソノギ(SONOGI)=其扇」が対になって描かれており、この「千歳」は、「ビュルガー(ビュルゲル)」の妻、そして、「其扇」が「シーボルト」の妻という関係にある(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)。

おとみ.gif

日本人肖像「おとみ」(シーボルド『日本』図版第1冊41)
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html
元絵: C.H.フイレネ-フェ筆(「別図」あり)
下絵・図版: エルックスレーベン筆(『よみがえれ! シーボルトの日本博物館・監修:国立歴史博物館)
説明: イネの乳母(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)

こまき.gif

日本人肖像「こまき」(シーボルド『日本』図版第1冊36)
元絵: C.H.フイレネ-フェ筆(「別図」あり)
下絵・図版: エルックスレーベン筆(『よみがえれ! シーボルトの日本博物館・監修:国立歴史博物館)
説明: シーボルトのもとで働いていた使用人(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)。

オルソン.gif

「Orson セレベスの若いブギース人」(シーボルド『日本』図版第1冊57)
説明:「オルソン」はマレー半島生まれのシーボルトの従者。其扇からシーボルト宛の書簡の内容から、シーボルトが国外追放になった時、シーボルトの従者としてオランダにも同行していることが窺える。その文面は、「私(其扇)は、お母さまに煙草入れ一つ、お前様(シーボルト)にも同じものを一つ贈ります。お母様のものには愛児おイネの姿、もう一つには私とおイネの姿を、なかなか巧妙に描いているものです。オルソンには煙草二十包、靴一足を贈ります。」で、この「オルソンには煙草二十包、靴一足を贈ります」と、オルソンにも贈物をしている(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)。
 なお、この文面に出てくる「煙草入れ」は、下記のアドレスで先に紹介したものである。

(再掲)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-07

「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト関係資料」.jpg

「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト関係資料」(国指定重要文化財・シーボルト記念館蔵)
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000567.html
≪わが国近代医学の発展に多大の功績を残したシーボルトとその娘イネの関係資料19件44点で、主にシーボルトの子孫である楠本家、米山家などから寄贈されたものである。 主なものに、 シーボルト妻子像螺鈿合子(1合)、シーボルト書状(13通)、シーボルト処方箋(6通)、シーボルト名刺(1枚)、ポンペ書状(1通)、蘭語文法書(1冊)、いね和蘭文請取状(1通)、薬籠(1合)、花鳥螺鈿小箱(1合)、化粧道具小箱(1合)、革鞄(1箇)、短銃(1挺)、眼球模型(1基)、いね宮内省御用係関係書類(9通)、福沢諭吉いね推薦状(1通)、いね臍の緒書(1通)、いね遺言状(1通)、懐中紙入(1箇)などがある。≫(「長崎市」)

唐蘭館絵巻(蘭館図)蘭船入港図.jpg

唐蘭館絵巻(蘭館図)(一)蘭船入港図」川原慶賀筆 19世紀 長崎歴史文化博物館蔵 
http://www.nmhc.jp/collection.html
【 出島オランダ商館医シーボルトの専属絵師として活躍した川原慶賀の作品は、その多くが西洋へ伝えられ、ニッポンを海外に紹介しました。慶賀の作品は、日本の風景や生活、動植物などを写実的に描いており、当時の状況を知ることができる貴重な資料です。】(「長崎歴史文化博物館」)

この「唐蘭館絵巻(蘭館図)(一)蘭船入港図」は、川原慶賀の晩年の作品(嘉永6年(1853年)に来航したプチャーチンの肖像画を描いた前後の作品)と解せられるが、ここに描かれている、望遠鏡で「蘭船を眺めるのはシーボルト」、そして、その背後の「女性と子供」は、当時の「シーボルトの日本人妻・お滝」、そして、その子は、二人の一粒種の「お稲」ではないかとされている。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0611/index1.html

【 蘭船を眺めるのはシーボルト?
 待ちに待った蘭船の到来! 屋上の展望台の上で入港してくる蘭船を望遠鏡で覗き込んでいるのは、商館長だろうか? 実はこの男性の背後に子どもを抱いた日本人女性がいることから、この望遠鏡を覗いているのはシーボルトで、日本人女性はお滝、子どもがお稲ではないかといわれている作品だ。慶賀が描いた作品だから、それもあり得るかもしれない?】
(「発見!長崎の歩き方」)

『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』では、「この望遠鏡を覗いているのはシーボルト」で、その後ろの「日本人女性はお滝、子どもがお稲」で、その脇の子供の従者は「マレー生まれのオルソン」と見立てている。そして、左の展望台に上りかけている女性は「乳母・おとみ」としている。もう一人のシーボルトの脇の人物は「ビュルガー(ビュルゲル)」と見立てることも一興であろう。

「渡辺崋山の戯画に描かれたビュルゲル」.gif

「渡辺崋山の戯画に描かれたビュルゲル」抜粋(「ウィキペディア」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AB
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