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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その十一) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その十一)「絵師の工房」(川原慶賀画)と「北斎仮宅之図」(露木為一画)周辺

絵師の工房.jpg

●作品名:絵師の工房
●Title:Painter's atelier
●分類/classification:諸職と道具/Craftsmen and tools
●形状・形態/form:絹本彩色、軸/painting on silk,hanging scroll
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:1-1039
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1606&cfcid=144&search_div=kglist

 川原慶賀の経歴や肖像画などは、長崎の画人について記した文献(『崎陽画家略伝』『長崎画人伝』など)には全く出て来ない(『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著))。 
 公的な記録として出てくるのは、「犯罪者慶賀」に関するもので、「今下町に住する出島出入絵師登与助(慶賀の通称)が、シーボルトの江戸参府に同行したが、その折にシーボルトの監視不十分で処罰された」(『長崎奉行所犯科帳』の一八三〇の記録)ことと、その十二年後の『同犯科帳(一八四二)』に、「出島屋敷出入りの絵師登与助が、紅毛人のため西役所や港警備の細川家や鍋島家の紋入りの番船を写したかどで入牢、江戸並びに長崎払いを申し渡された」というものである(『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著))。
 この一度目の、いわゆる「シーボルド事件」に関連するものと、その二度目の「江戸払い・長崎払い」の処罰を受けた間の、一八三六年(天保七)に、慶賀は、一種の植物図鑑ともいうべき『慶賀写真草』を刊行する。

慶賀写真草.gif

『慶賀写真草』 2巻 川原慶賀著 川原盧谷校 大坂 河内屋喜兵衛[ほか] 天保7(1836)刊 2冊
≪絵師川原慶賀(1786生)はフィッセルやシーボルトなど出島オランダ商館員に協力して多数の作品を描いた。本書には、シーボルト『日本植物誌』図版と共通する図を多く見ることができる。花の開花期等の説明のほか、学名、薬効を記す。花や実の断面図があるのが西洋の植物図鑑的である一方、色の説明が「タイシャスミ」「生ヱンジクマ」等、絵具と塗り方なのは、旧来の絵手本を思わせる。≫(「江戸時代の日蘭交流(国立国会図書館)」)
https://www.ndl.go.jp/nichiran/s2/s2_1_3.html#h4_2

 この「川原慶賀著 川原盧谷校」の「川原盧谷(生没年未詳)」は、川原慶賀の息子で、この著の「序」は、慶賀(1786-1860)の師の、同時代長崎画壇の重鎮の「唐絵目利(絵師)・石崎融思」(1768-1846)であり、その「序」に、慶賀の父の「川原香山」(生没年未詳)は、「石崎融思」の実父の「唐絵目利(絵師)荒木元融」(1728-1794)と親交がありと記され、すなわち、「川原家」(香山→慶賀→盧谷)は、「(唐絵目利江時)荒木家・石崎家」(荒木元融→石崎融思→融済1810-1862))」の一門の絵師の家ということになる。
 と解すると、この「絵師の工房」(川原慶賀画)の、この「主役の絵師」(赤毛氈の上の画紙に筆を下す)のは、「石崎融思?」(1768-1846)、そして、右上の絵師は、「川原慶賀?」(1786-1860)、その右下の絵師は、「川原蘆谷?」(生没年未詳」、そして、この主役の「石原融思」の傍らの「絵師見習いの子」は、その息の一人の「石原融済?」1810-1862)などという、そんなイメージでなくもない。

北斎仮宅之図.gif

「北斎仮宅之図(露木為一画)」(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286947

 この絵図を描いた「露木為一」(?-1893)は、「三代目為一」(初代=北斎)で、北斎の晩年の弟子の一人である。
 この絵図の上部に書かれている文面の、右側(冒頭)の部分は、次のようである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%9C%A8%E7%82%BA%E4%B8%80

「卍(まんじ、北斎のこと)常に人に語るに、我は枇杷葉湯に反し、九月下旬より四月上旬迄巨燵(こたつ)を放るゝこと無しと。如何なる人と面会なすといへとも放るゝことなし。画(か)くにも又かけ、倦(あ)く時は傍の枕を取りて眠る。覚れば又筆を取、夜着の袖は無益也とて不付候」(「ウィキペディア」)

 これに続く文面は、次のようである。

https://kihiminhamame.hatenablog.com/entry/2022/07/02/180000

「本所龜沢町榛馬場(ほんじよかめざはちやうはんのきばば)、借宅の躰(てい)、老人長く住居故、御咄ニ画(ゑが)く。」

「御物語残り、御目通(おめどほし)之節、言ひ上げ、如此(かくのごとく)候。為一(いいつ)百拝(ひやくはい)」

「昼夜、如斯也故(かくのごとくなるゆゑ)、炭にてハ逆上(のぼせ)為(な)す故、炭團(たどん)を用ゆ。然る故、虱(しらみ)の湧く事、喩(たと)ゆるニ物無し。」

絵図の真ん中下の戸板の「張り紙」の文面は、次のとおり。

「画帖《ぐわでふ》扇面《せんめん》之儀は、堅く御断り申し候。三浦八右ヱ門(三浦屋八右衛門は北斎の画号の一つ)」

中段左の文面は、次のとおり。

「角(すみ) 一遍(いつぺん)之分、板敷上、佐倉炭俵、土産物の桜餅の籠、鮓(すし)の竹の皮、物置ト掃溜(はきだめ)と兼帯《けんたい》也。」

左の箱のようなものの上の文面は、次のとおり。

「蜜柑箱(みかんばこ)ニ高祖像(日蓮上人像)を安置す。(北斎は熱心な日蓮宗の信者)」

 また、この絵図は、天保十一年(一八四〇)作で、右の老人は「北斎」(八十一歳)、そして、左の女性は「娘・『ゑい』=栄=葛飾応為(四十九歳)」ということになる。

 なお、この「北斎仮宅之図」は、次のアドレス(「国立国会図書館デジタルコレクション」)で閲覧することができる。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286947

 また、この「北斎仮宅之図(露木為一画)」の文面については、次のアドレスの「葛飾北斎伝」(下巻)(「国立国会図書館デジタルコレクション」)で、その一部が解説されている。

「葛飾北斎伝」(下巻)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992199

「葛飾北斎伝」(上巻)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992198

 この「北斎仮宅之図(露木為一画)」の「為一」などについては、次のアドレスの「浮世絵師伝」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)が参考となる。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186832/48

 さらに、この「本所亀沢町榛馬場」の場所などについては、次のアドレスの「江戸切所絵図(本所絵図)」(「国立国会図書館デジタルコレクション)が参考となる。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286679

ここで、先の「絵師の工房」(川原慶賀画)の、その「主役の絵師」(赤毛氈の上の画紙に筆を下す)を、「唐絵目利絵師」の「石崎融思」(1768-1846)とすると、この「北斎仮宅之図(露木為一画)」の、この布団を被って絵筆を執っている、この「浮世絵師」は、当代を代表する「葛飾北斎」(1760-1849)その人ということになる。
 そして、「唐絵目利御用絵師」の「石崎融思工房」に比すると、「版元・浮世絵師・彫師・摺師」の協同創作の、その一角の「浮世絵師工房」の「葛飾北斎工房」は、何とも、この「仮託」は、「火宅(火事場の借家での、それに頓着せず「画事」一筋の「卍(まんじ)絵師工房」)という雰囲気に対して、前者の「唐絵目利御用絵師の石崎融思工房」は、「江戸の狩野派の御用絵師工房」に匹敵する「長崎派の筆頭御用絵師工房の『豪壮家宅』」」という雰囲気が伝わって来る。
 そして、この「北斎仮宅之図(露木為一画)」の、北斎の傍らの「娘・『ゑい』=栄=葛飾応為(四十九歳)、天保十一年(一八四〇)時、北斎=八十一歳」が、その当時の「北斎工房」を支える中心人物で、次の『古画備考』の挿話(天保十年六月八日針医某話)の「北斎とカピタンとの挿話」とは、北斎よりも、より多く、この北斎の娘の「葛飾応為」に関わるものと思われる。

≪外国人とのトラブル

 長崎商館長(カピタン)が江戸参府の際(1826年)、北斎に日本人男女の一生を描いた絵、2巻を150金で依頼した。そして随行の医師も同じ2巻150金で依頼した。北斎は承諾し数日間で仕上げ彼らの旅館に納めに行った。商館長は契約通り150金を支払い受け取ったが、医師の方は「商館長と違って薄給であり、同じようには謝礼できない。半値75金でどうか」と渋った。北斎は「なぜ最初に言わないのか。同じ絵でも彩色を変えて75金でも仕上げられた。」とすこし憤った。医師は「それならば1巻を買う」というと、通常の絵師ならそれで納めるところだが、激貧にもかかわらず北斎は憤慨して2巻とも持ち帰ってきた。当時一緒に暮らしていた妻も、「丹精込めてお描きでしょうが、このモチーフの絵ではよそでは売れない。損とわかっても売らなければ、また貧苦を重ねるのは当たり前ではないか。」と諌めた。北斎はじっとしばらく黙っていたが「自分も困窮するのはわかっている。そうすれば自分の損失は軽くなるだろう。しかし外国人に日本人は人をみて値段を変えると思われることになる。」と答えた。
 通訳官がこれを聞き、商館長に伝えたところ、恥じ入ってただちに追加の150金を支払い、2巻を受け取った。この後長崎から年に数100枚の依頼があり、本国に輸出された。
 オランダ国立民族学博物館のマティ・フォラーによると、1822年のオランダ商館長ブロムホフが、江戸参府の際日本文化の収集目的で北斎に発注し4年後受け取る予定としたが、自身の法規違反で帰国。後継の商館長ステューレルと商館医師シーボルトが1826年の参府で受け取った。現在確認できるのは、オランダ国立民族学博物館でシーボルトの収集品、フランス国立図書館にステューレルの死後寄贈された図だという。西洋の絵画をまねて陰影法を使っているが絵の具は日本製である。

※文政3年(1820年) 「為一(いいつ)」の号を用いる。『富嶽三十六景』の初版は文政6年(1823年)に制作が始まり、天保2年(1831年)に開版、同4年(1833年)に完結する。
※天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。『富嶽百景』を手がける。

武家.jpg

画像-7 :「武家」 肉筆画。

節李の商家.jpg

画像-18 :『節李の商家』 肉筆画。北斎と娘の葛飾応為の合作。オランダ商館医であったシーボルトが国へ持ち帰ったと伝えられる1枚。オランダ国立民族学博物館所蔵。≫(「ウィキペディア」)

(参考一)『古画備考』(天保十年六月八日針医某話)

http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/kogabikou/ha-kogabikou.html

北斎往年、林町三丁目、家主甚兵衛店ニ住シ、某ト隣家ニテ懇意ニ致セシ也、其頃長崎ヨリ出府ノ紅毛カピタンノ誂ヘニテ、我邦町民ノ児ヲ産タル図ヲ始メトシテ、年々成長ノ所、稽古事致、又年タケ遊里ナドヘ通ヒ候体、家業ヲ勤ル図ヨリ、老年ニ及ビ命終ノ体マデ、男子ト女子ト一巻ヅヽ二巻ニ画キ畢、又カピタンニ付参候紅毛ノ医師モ又其通リ二巻誂ヘ、又画成テ旅宿ヘ持参シ、兼テ約シ候如ク、カピタンヨリ二巻ノ挨拶、百五十金請取、ソレヨリ医師ノ部屋ヘ参リ、是ヘモ渡シ候時、医師申ハ、カピタンハ夫ダケノ有力ユヱ、百五十斤差出シ候ヘドモ、此方ノ身分ニテハ又同様ニハ謝シ難シ、半減七十五金ニテ済シ申サレ候様申ニ付、北斎答テ、左様ノコトニ候ハヾ、何故最初ニ不被申候哉、初ニ承候ヘバ、画ハ同様ニ見エ候テモ、彩色其外ニ略シ様モ候ヘドモ、今更聊モ引申難シ、又カピタン主ヘ対シ候テモ、   不相成候ト申候ヘバ、左候ハヾ、二巻ノ内男子ノ方一巻計ニ致、定価ノ半金渡シ可申ト申候ヘ共、二巻之内一巻分候儀ハ致ガタシ迚、二巻共持帰リシ折節、某モ参居候所ヘ帰リ、其由ヲ語リ候ヘバ、家婦、夫ハケシカラヌ御了簡違也、異国ナレバコソ此方ニテハ珍ラシカラヌコトヲ悦、画ニ頼候ヘ共、誠ノスタリ物ニテ、其間ノ隙ヲ費、雑用ヲカケ候ダケノコト、皆損失ト也、反故同前ノカクニ候、何程ニテモ、先方ノ申通ニ遣サルベキコトナルヲ、御心付無之哉ト申候ヘバ、サレバトヨ、此方ニテハ、モトメ候者 モナクスタリ物トナルコトハ、弁ヘザルニ非ズ、然レドモ異国ノ者、左様ニ不正ノコトヲ申候ヲ、其通リニ致遣シ候テハ、自分ノ損毛ナク候共、日本ノ恥辱ニ候間、其所ヲ存ジ、持帰リタル也ト答ヌ、サスガ俗画ニ致セ、都下ニ雷鳴致程ノ画師ハ気性格別ノ事也ト、某深ク感候、其後カピタン聞之、以ノ外ノコト也トテ、自分ヨリ金子ヲ出シ定価ニテ調、国ヘ持参候由、末世ト申セドモ、我邦ノ人気、大和魂侍リ候事、予モ又深クコレヲ感称シテ記置了【天保十年六月八日針医某話】

(参考二)「スチュルレル・シーボルトらの江戸参府」の折、スチュルレル(カピタン=使節)が持ち帰り、後に「フランス国立図書館」に寄贈したといわれている「北斎・北斎工房・(川原慶賀?)」らの作品(その一・その二)

(その一)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-27
(その二)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-28
(日本の風俗図会)
http://expositions.bnf.fr/france-japon/albums_jp/hokusai/index.htm


(参考三)北斎、検閲避け?名入れず 作者不明だった西洋風絵画の謎 シーボルト収集品目録と一致」周辺(ライデン国立民族学博物館)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-25

(「西日本新聞」)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/346252/



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