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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その一) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その一)「シーボルトとフィッセル」の『日本』の「 著作全体に対する口絵)」と「北斎と慶賀」

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=1906465#?c=0&m=0&s=0&cv=3&r=0&xywh=-1455%2C0%2C6736%2C5229

「Nippon Atlas. 1-p4」

「p4  著作全体に対する口絵)」.gif

「Nippon Atlas. 1-p4」→「p4 著作全体に対する『口絵)』」
【 ここにみられる群像のなかで、まず目につくのは、たくさんの腕をもつ武人の姿であろう。この武人は摩利支天といい、神話では、権力と忍耐と生ける炎を意味する。その姿のなかに、われわれはアレース(古代ギリシャの神)、マヴォールス、マルス(ローマ神話のなかの戦神、ギリシャ神話のアレースにあたる。マヴォールスはマルスの古名)をみる。— すなわち古代スキティアやトラキア人の強大な神であり、ギリシャの現住民ベラスギ人の軍勢を連れてヘラスに入った守護神、さらにその息子たち(ロムルス兄弟)が七つの丘の都(ローマ)を建設したかの軍神マルスである。
このアジアの東端の地に見出されるこの神像の揺籃の地は中央インドであった。摩利支天がインドに由来することは、その名称の頭文字が、古文字デヴァナガーリ(11世紀成立した筆写に適したサンスクリット文字、現存の梵字本の出版に多く用いられている)で楯に書かれていることで実証される。またその姿、衣装、武具もそれを示している。聖なる書は摩利支天を権力の象徴とし、次のようにうたっている。「摩利支天、尊敬すべき全能者、摩利支、この天の神は燃えさかる火を足下に浮かばせ、見ることも近よこともできない。水が涸れることがないように炎が燃えつきることはない」。その偉大さをいっそう決定づけているのは、彼がのっている神聖な従者の猪であり、これは力および戦闘精神の象徴である。 】
(『シーボルト「日本」図録第一巻・講談社』所収「著作全体に対する口絵の説明(原題「口絵の説明」)」p1-4の「一部抜粋」)

シーボルト口絵・部分拡大図f.gif

「Nippon Atlas. 1-p4」→「p4 著作全体に対する『口絵)』」(「部分拡大図」)

 この、シーボルトの畢生の生涯をかけた『Nippon』(『シーボルト「日本」第一巻~第六巻(第一編~第十二編)+図録第一~三巻・講談社』)の、その中核に位置する「p4 著作全体に対する『口絵)』」の、その中核をなす、この「たくさんの腕をもつ摩利支天」を「シーボルト」に見立てると、この「従者の猪」は、「シーボルトの眼になった従者」の「長崎出島の絵師・川原慶賀」に見立てることもできよう。
 この「摩利支天」は、「刀と楯」「弓と矢」「槍(両手)」と「六本の腕」が描かれている。これを「シーボルト」に見立てると、「医学・生物学」「植物学・動物学」「博物学・民族学・地理学」等々と、その博覧強記の「超人」振りは、「摩利支天を知りその名を念ずる者は、如何なる事象からも害されること無し」と語り継がれている、その「摩利支天」の趣を呈してくる。
 そして、この「摩利支天」像は、『北斎漫画六編』(文化十四年=1817刊)所収のものと全く同じ図柄なのである。

摩利支天.jpg

『北斎漫画六編』所収「摩利支天」(「国会図書館デジタルコレクション」コマ番号16)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851651

この『北斎漫画六編』所収「摩利支天」像より、「シーボルト『Nippon(初版、未製本)』図版篇」所収「p4 著作全体に対する『口絵)』」の「摩利支天」像の原画を描いたのは、その事実は定かでないが、この「摩利支天」を「シーボルト」と見立てると、その「摩利支天」の「従者(猪)=川原慶賀」の、その「長崎出島の絵師・川原慶賀」と見立てて、「川原慶賀」が描いたと解することも、それほど飛躍した見方でもなかろう。

(再掲)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/archive/c2306302230-1

(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)」その二

≪ 口絵に描かれた神農と伏犧の図は、葛飾北斎の『北斎漫画』に掲載されている同図を参考にしています。本書に収録された他の図版も北斎や川原慶賀ら日本の画を典拠としています。≫「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)」その一(抜粋)

伏犠と神農.jpg
 
「伏犠と神農,最初の日本の人間夫婦,そのほか風神と雷神の図,および鶴すなわち幸福の象徴によって守られている将軍の紋章の絵」「(日文研データベース・外像)」
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011001&hid=55
≪被写体 : 伏羲と神農,最初の日本の人間夫婦,そのほか風神と雷神の図,および鶴すなわち幸福の象徴によって守られている将軍の紋章の絵
掲載書名 :日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名 :フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代 :1833   ≫


伏犠(ふっき・右図)と神農(しんのう・左図.gif

『北斎漫画. 3編』(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「伏犠(ふっき・右図)と神農(しんのう・左図)」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851648
≪伏犠=ふっき〔フクキ〕【伏羲/伏犠】
中国古代伝説上の帝王。初めて八卦(はっけ)を作り、婚姻の制度を整え、民に漁や牧畜を教えたという。女媧(じょか)の兄あるいは夫といわれ、三皇の一人。太昊(たいこう)。庖犠(ほうき)。宓犠(ふくき)
神農=しんのう【神農】
中国古代神話上の帝王。三皇の一。人身で牛首。農耕神と医薬神の性格をもち、百草の性質を調べるためにみずからなめたと伝えられる。日本でも、医者や商人の信仰の対象となった。炎帝神農氏。≫(「デジタル大辞泉」)

風神(左図)と雷神(右図).gif

『北斎漫画. 3編』(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「風神(左図)と雷神(右図)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851648

≪風神・雷神(ふうじん・らいじん)
風の神と雷の神。仏教では千手観音の眷属として二十八部衆とともに安置される。三十三間堂の鎌倉時代の木像と建仁寺蔵の俵屋宗達筆と伝えられる屏風は有名。東京,浅草寺の門にはこの2神が安置されているので雷門という。≫(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-03-31

(再掲)

≪ 『北斎漫画』の「初編」は、文化十一年(一八一四)、「二編」と「三編」は、その翌年の文化十二年(一八一五)に刊行された。「初編」の号は、「葛飾北斎」そして、「二編・三編」の号は、「北斎改葛飾戴斗」と、「北斎」から「戴斗」に改まっている。
 北斎の画号の変遷などは、概略、次のとおりである。
 (省略)
 ここで『北斎漫画』の「漫画」とは、「笑い(コミック)」を内容とした「戯画(カリカチュア)」ではない。それは、北斎の前半生の総決算ともいうべき、「浮世絵」の「絵師・彫師・塗師」の、その「絵師(「版下・原画を担当する絵師)」の、その総決算的な意味合いがあるものと解したい。
 そして、この『北斎漫画』を忠実にフォローしていた、当時の絵師の一人として、日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師・シーボルトの側近の絵師・川原慶賀が居る。この川原慶賀については、以下のとおりである。
【天明6年長崎今下町生まれ。通称は登与助、字は種美。別号に聴月楼主人がある。のちに田口に改姓した。父の川原香山に画の手ほどきを受け、のちに石崎融思に学んだとされる。25歳頃には出島に自由に出入りできる権利を長崎奉行所から得て「出島出入絵師」として活動していたと思われる。文政6年に長崎にオランダ商館の医師として来日したシーボルトに画才を見出され、多くの写生画を描いた。文政11年のシーボルト事件の時にも連座していた。また、天保13年にその作品が国禁にふれ、長崎から追放された。その後再び同地に戻り、75歳まで生存していたことはわかっている。画法は大和絵に遠近法あるいは明暗法といった洋画法を巧みに取り知れたもので、父香山とともに眼鏡絵的な写実画法を持っていた。来日画家デ・フィレニューフェの影響も受けたとみられる。】

https://blog.goo.ne.jp/ma2bara/e/433eda67b8a4494aed83f88d08813179

この川原慶賀が模写した、北斎の「風神雷神図」がある。

北斎 二.jpg


『幕末の“日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』(西武美術館 1987)

http://froisdo.com/hpgen/HPB/entries/77.html

(以下略)

(その一)「シーボルトとフィッセル」の『日本』の「 著作全体に対する口絵)」と「北斎と慶賀」(ノート1)

 「シーボルト」の下記の「年表」によれば、「1832年 - オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本』刊行開始」と、その不朽の三部作(「日本(誌)」・「日本動物誌=Fauna Japonica」・「日本植物誌=Flora Japonica」)の、その「日本(誌)=NIPPON」の第1分冊 を刊行したのは、「天保3年(1832)」のことなのだが、その一応の完成は、≪『日本』“NIPPON” は、1832年から約20年にわたって(1~13回配本)、オランダのライデンで出版された(最終的には1858~59年頃)。≫(「福岡県立図書館/デジタルライブラリ シーボルト資料 解説=宮崎克則稿」)という、書誌学的には「天下の奇書」とも言われているほどの膨大な一群(三部作)の一つということになる。

【1823年8月 - 来日
1824年 - 鳴滝塾を開設
1825年 - 出島に植物園を作る
1826年4月 - 第162回目のオランダ商館長(カピタン)江戸参府に随行
1827年 - 楠本滝との間に娘・楠本イネをもうける
1828年 - シーボルト事件
1830年 - オランダに帰国
1831年 - オランダのウィレム1世からライオン文官功労勲爵士とハッセルト十字章(金属十字章)を下賜され、コレクション購入の前金が支払われる
1831年 - 蘭領東印度陸軍参謀部付となり、日本関係の事務を嘱託される
1832年 - ライデンで家を借り、コレクションを展示した「日本博物館」を開設
1832年 - バイエルン王国・ルートヴィヒ1世からバエルン文官功労勲章騎士十字章を賜る
1832年 - オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本』刊行開始】(「ウイキペディア」)

 シーボルトの、この「日本(誌)=NIPPON」の、その第一分冊(1853年までに二十分冊が予約購読者に頒布予定)が刊行された「天保3年(1832)」の翌年(1833)に、フイッセルの、『日本風俗備考=日本国の知識への寄与(原書名)=Bijdrage tot de kennis van het japansche rijk』が、全12章構成でアムステルダムで刊行された。
 この『日本風俗備考=日本国の知識への寄与(原書名)=Bijdrage tot de kennis van het japansche rijk』周辺については、下記のアドレスなどで、その各章の「口絵・扉絵」を取り上げてきた。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-12

(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース))その一

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-28

(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)その十三

 ここで、このフイッセルの『日本風俗備考=日本国の知識への寄与(原書名)』と、シーボルトの『日本(誌)=NIPPON』とを比較考慮すると、大雑把に、前者(フイッセルの『日本風俗備考』)は、後者(シーボルトの『日本』)を「専門的・学術的」な「未完の無限追及的な世界」とすると、その先行的(あるいは同時期的)な、そして、これ自体で完結している「啓蒙的・一般書的な世界」ということになろう。
 そして、この「未完の無限追及的な世界」の、そのシーボルトの『日本』の全体構成(雄松堂刊「シーボルトの『日本』全九巻構成」)は、次のとおりとなる。

第1巻 第1編 日本の地理とその発見史
    第2編 日本への旅
第2巻 第3編 日本民族と国家
    第4編 1826年の江戸参府紀行⑴
第3巻 第4編 1826年の江戸参府紀行⑵
    第5編 日本の神話と歴史
第4巻 第6編 勾玉
    第7編 日本の度量衡と貨幣
    第8編 日本の宗教
    第9編 茶の栽培と製法
    第10編 日本の貿易と経済
第5巻 第11編 朝鮮
第6巻 第12編 蝦夷・千島・樺太および黒竜江地方
    第13編 琉球諸島
    付録
図録第1巻
図録第2巻
図録第3巻

 ここで、「天保3年(1832)」に刊行された、そのシーボルトの『日本(誌)=NIPPON』の第1分冊の「口絵」(「p4 著作全体に対する『口絵)』」)の「原画」(「石版画(挿絵画)」の「元絵」)を描いたのは、「北斎(北斎工房作品を含む=「北斎漫画」との関連)か?・慶賀(慶賀工房を含む)=「シーボルト御用絵師」との関連か?・西洋人画家(『日本』図版時の挿絵画家=エルックスレーベン)と(シーボルトの来日時に同行して「慶賀」の洋画画の師である「C.H>フィネーフ)関連か?」、この三方面での探索を、以下、逐逸フォローしていきたい。
 その前提として、それを比較するなどの見地から、フィッセルの『日本風俗備考』=『日本の知識への寄与』の、その「伏犠と神農,最初の日本の人間夫婦,そのほか風神と雷神の図,および鶴すなわち幸福の象徴によって守られている将軍の紋章の絵」「(日文研データベース・外像)」は、『慶賀(慶賀工房を含む)=「シーボルト御用絵師」との関連か?』の作品を背景にしてのものということで、以下、鑑賞(考察)を進めていきたい。
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