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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その十二) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その十二)「風神・雷神図」「神農伏犠図」(川原慶賀画)周辺

川原慶賀・神農図と風神雷神図.jpg

左図「神農図伏犠図」(川原慶賀画)紙本著色 28.1×42.0 ライデン国立民族学博物館蔵
右図「風神・雷神図」(川原慶賀画)紙本著色 28.8×46.5 ライデン国立民族学博物館蔵
出典: 『幕末の“日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』(西武美術館 1987)』

 『幕末の“日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』(西武美術館 1987)』の「出品目録(凡例)」によると、この両絵図とも「プロムホム・コレクションかフイッセル・コレクションか確定できないもの=X印」ということで、「プロムホム」が蒐集したものか、それとも「フイッセル」が蒐集したものかは確定できないものの分類の中に入っている。
 この両絵図とも、次のアドレスで紹介している。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-01

(再掲)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/archive/c2306302230-1

(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)」その二

≪ 口絵に描かれた神農と伏犧の図は、葛飾北斎の『北斎漫画』に掲載されている同図を参考にしています。本書に収録された他の図版も北斎や川原慶賀ら日本の画を典拠としています。≫「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)」その一(抜粋)

伏犠と神農.jpg

「伏犠と神農,最初の日本の人間夫婦,そのほか風神と雷神の図,および鶴すなわち幸福の象徴によって守られている将軍の紋章の絵」「(日文研データベース・外像)」
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011001&hid=55
≪被写体 : 伏羲と神農,最初の日本の人間夫婦,そのほか風神と雷神の図,および鶴すなわち幸福の象徴によって守られている将軍の紋章の絵
掲載書名 :日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−編集者名 :フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van) 
年代 :1833   ≫

伏犠(ふっき・右図)と神農(しんのう・左図.gif

『北斎漫画. 3編』(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「伏犠(ふっき・右図)と神農(しんのう・左図)」

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851648

≪伏犠=ふっき〔フクキ〕【伏羲/伏犠】
中国古代伝説上の帝王。初めて八卦(はっけ)を作り、婚姻の制度を整え、民に漁や牧畜を教えたという。女媧(じょか)の兄あるいは夫といわれ、三皇の一人。太昊(たいこう)。庖犠(ほうき)。宓犠(ふくき)
神農=しんのう【神農】
中国古代神話上の帝王。三皇の一。人身で牛首。農耕神と医薬神の性格をもち、百草の性質を調べるためにみずからなめたと伝えられる。日本でも、医者や商人の信仰の対象となった。炎帝神農氏。≫(「デジタル大辞泉」)

≪風神・雷神(ふうじん・らいじん)
風の神と雷の神。仏教では千手観音の眷属として二十八部衆とともに安置される。三十三間堂の鎌倉時代の木像と建仁寺蔵の俵屋宗達筆と伝えられる屏風は有名。東京,浅草寺の門にはこの2神が安置されているので雷門という。≫(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

風神(左図)と雷神(右図).gif

『北斎漫画. 3編』(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「風神(左図)と雷神(右図)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851648

北斎 二.jpg

『幕末の“日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』(西武美術館 1987)

http://froisdo.com/hpgen/HPB/entries/77.html

 ここまでが、これまでのものであったが、今回、冒頭の「左図『神農図伏犠図』(川原慶賀画)紙本著色 28.1×42.0 ライデン国立民族学博物館蔵」が、これに加わったということになる。
 これと、これまでの「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』−編集者名 :フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)」の、その「口絵」とを合成すると、次のとおりとなる。

フイッセル口絵合成図2.png

左図:「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』−編集者名 :フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)」の、その「口絵」
右図(上図): 「風神・雷神図」(川原慶賀画)
右図(下図): 「神農図伏犠図」(川原慶賀画)

 この図(合成図)から、「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』の「口絵」(左図)は、川原慶賀の「風神・雷神図」(右図・上図)と「神農図伏犠図」(右図・下図)とを、「原画」として、それらを転写して「下絵」を作り、それを「石版画」にして、その「石版画」に著色したものということが了知されてくる。
 そして、川原慶賀の「風神・雷神図」(右図・上図)と「神農図伏犠図」(右図・下図)とは、『北斎漫画. 3編』を下敷にしての、川原慶賀の創作画ということになる。その慶賀に、これらの絵図の制作を注文したのは、「プロムホム・フイッセル・シーボルト」のうちの、「フイッセル」と解しても、この「口絵」との関連で、差し支えないと思われる。
 と同時に、川原慶賀は、「シーボルトの御用(お抱え)絵師」と、「シーボルト」との関連、特に、その厖大な『日本(『NIPPON』))』の、その挿絵の多数の「石版画」の「原画」(「元絵」)の作者として、クローズアップされがちであるが、その『日本(『NIPPON』))』の先行的な著書の、「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』」(フイッセル著)の、その
挿絵の「石版画」の「原画」(元絵)の作者もまた、川原慶賀であるということは、やはり特記して置く必要があろう。

日本風俗備考(石版と石版画).jpg

左図:「石版(「日本風俗備考」)」(「ライデン国立民族学博物館展示室」)
右図: 「挿絵=石版画(「日本風俗備考」=「日本国の知識への寄与」)」(「九州大学付属図書館蔵(576.0.3)」)
出典: 「シーボルト『NIPPON』の原画・下絵・図版」(「九州大学総合研究博物館研究報告
Bull. Kyushu Univ. MuseumNo. 9, 19-46, 2011」)

≪(説明)シーボルトが『NIPPON』で使用した石版は現在のところ1枚も発見されていない。再利用が可能であるから、他に使用された可能性が高い。オランダのライデン国立民族学博物館には、フィッセルが使用した石版が展示されているので、参考のためにその画像を掲示しておく。〔5〕(右図)は厚さは4センチほどの石版である。オーフェルメール・フィッセル(1800-1848)は、オランダ商館員として文政3年(1820)から文政12年(1829)まで日本に滞在した。文政5年(1822)には商館長ブロンホフ(1779-1853)に随行して江戸参府している。帰国後の1833年に刊行した『日本国の知識への寄与』(3)(冒頭の「左図:「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』」の挿絵)の挿絵に使用された石版ではなく、試作の石版と思われる。〔6〕(左図)に例示しているように、下部のタイトル、「両」文字の飾りが異なっている。≫

 ここで特記したいことは、一つの「石版画」(挿絵)が完成されるまでには、「原画(元絵)→下絵(試作の下絵・最終の下絵=石版)→図版=石版挿絵画(「未著色画」「着色画」)」と、丁度、浮世絵(「版元・浮世絵師・彫師・摺師」の協同創作としての印刷物)と同じようなステップを踏んで出来上がるということなのである。
 そして、上記の、左図:「石版(「日本風俗備考」)」と右図: 「挿絵=石版画(「日本風俗備考」=「日本国の知識への寄与」)」とを交互に見て行くと、左図:「石版(「日本風俗備考」)」と右図: 「挿絵=石版画(「日本風俗備考」=「日本国の知識への寄与」)」とでは、丁度、「右図」と「左図」が反転(逆転)していることが了知されて来る。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-07-15

(再掲)

日本風俗備考.jpg

『日本風俗備考』(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収「口絵」(部分拡大図)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11223204/23

 ここで、もう一度、上記の「合成図(左図=最終の石版挿絵図、右図(上図=風神・雷神図)、下図=神農図伏犠図)」を見て行くと、これは、まさしく、「原画(元絵)」と「下絵(石版画)」との関係(反転=逆転)の関係が了知されて来る。

フイッセル口絵合成図2.png

「合成図(左図=最終の石版挿絵図、右図(上図=風神・雷神図)、下図=神農図伏犠図)」

最上徳内肖像画(比較図).gif

「最上徳内肖像画(合成図)」
左図: 「最上徳内」(シーボルト『日本』図版第1冊46)(「福岡県立図書館」蔵)
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html
右図:「最上徳内肖像」(SAB→「フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家」蔵)
≪「右図」の解説
最上徳内肖像 Portrait of Mogami Tokunai
川原慶賀筆 1826(文政9)年
 最上徳内は出羽国村山郡福岡出身の探検家、幕府普請役。シーボルトは蝦夷、千島に関する地理学的情報やアイヌに関する資料を1826(文政9)年、江戸参府の際江戸で面会し入手している。画面下にはシーボルトの自筆で、「トヨスケ(川原慶賀)が江戸で写生したもの」という記述が入っている。最上徳内の肖像画は国内には残されておらず大変貴重なものである。(宮坂正英稿) ≫(『よみがえれ! シーボルトの日本博物館・監修:国立歴史博物館』)

 右図が、川原慶賀が江戸で写生した「原画」(元絵)で、今に、シーボルト家(ツェッペリン家)で所蔵されているものである。そして、左図は、シーボルト著『日本』の「最終の石版挿絵図」として収載されているものである。
 この両図(左図と右図)とを比較して、川原慶賀が江戸で「最上徳内」を写生した図は、「左向きの最上徳内」(右図)であって、正装の紋付の羽織を身にまとった「右向きの最上徳内」(左図)は、西洋人(石版挿絵画家・エルックスレーベン筆か?)が転写して描いた「最上徳内」ということになる。
 そして、この「左向きの最上徳内」(右図)のものでも、衣服の柄が異なったものなどもあり、それらは、このシーボルトの自筆の記述(「トヨスケ(川原慶賀)が江戸で写生したもの」)の左図を基にして、後に、「川原慶賀と慶賀工房」などで制作したもののように思われる。

日本風俗備考口絵比較図.jpg

左図:「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』−編集者名 :フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)」の、その「口絵」(「ライデン国立民族学博物館」蔵)
https://www.ndl.go.jp/nichiran/s2/c2.html
右図: 『日本風俗備考』の、その口絵(「国立国会図書館デジタルコレクション」蔵)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11223204/23
下図:上記左図の彩色されていない「口絵」

日本風俗備考・原書.gif

(下図)Johan Frederik van Overmeer FisscherBijdrage tot de kennis van het Japansche rijkAmsterdam, 1833フィッセル著『日本国の知識に関する寄与』(「国際交流基金情報センターライブラリー」)

≪(下図解説)
本書の著者は、ヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル(Johan Frederik van OvermeerFisscher, 1799‐1848)。鎖国政策下の江戸時代、長崎出島のオランダ商館員として1820年(文政3年)に来日し、1829年(文政12年)の帰国まで、9年の長きにわたり日本に滞在した。1822年(文政5年)には、商館長の江戸参府に随行している。
出島での生活、日本人との交流、江戸への旅を通して、フィッセルはその観察眼を日本の幅広い分野に向け、多くの見聞、資料を得た。オランダ帰国後、彼はそれらをもとに執筆を進め、日本滞在の成果として1833年に本書を刊行する。
簡明な記述により、多岐にわたる内容(地誌、言語、絵画、宗教、兵学、娯楽、衣食住、日々の暮らしぶり、動植物、手工業、建築、船舶など)が1冊に収められており、西洋人の目を通して見た当時の日本の様子を興味深く今日に伝えている。
なお、本書は幕末の日本国内でも、天文方山路諧孝(1777‐1861)監修のもと、蘭学者杉田成卿(1817‐1859)、箕作阮甫(1799‐1863)らにより『日本風俗備考』として翻訳、刊行された。≫

上記の「日本風俗備考−原題『日本国の知識への寄与』」(左図)は、日本に里帰りして『日本風俗備考』(右図)の口絵として再生された。そして、その再生した日本版の『日本風俗備考』(右図)は、その原著書の一つと目せられるべき(「下図解説」)のとおり、「幕末の日本国内でも、天文方山路諧孝(1777‐1861)監修のもと、蘭学者杉田成卿(1817‐1859)、箕作阮甫(1799‐1863)らにより『日本風俗備考』」として翻訳、刊行されるということになる。

 この「幕末の日本国内でも、天文方山路諧孝(1777‐1861)監修のもと、蘭学者杉田成卿(1817‐1859)、箕作阮甫(1799‐1863)らにより『日本風俗備考』」が、下記のアドレスの、「日本風俗備考 22巻(ハン-オラルメエル-ヒスセル 著杉田信 [ほか]訳)」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)で、その全貌を閲覧することが出来る。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11223204/23


(参考)「川原慶賀の世界」の全体像を知るために(「新長崎市史.第2巻 (近世編)」)

https://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/023535499.html

新長崎市史.第2巻 (近世編)

目次
刊行にあたって
はじめに
凡例
序章 中世都市長崎から近世都市長崎へ 1
(中略)
第6章 出島と唐人敷
第1節 出島の造成とオランダ商館 490
(中略)
第2節 オランダ貿易のしくみと阿蘭陀通詞 511
(中略)
第3節 唐人屋敷と新地 535
(中略)
第4節 長崎の美術 685
※1 長崎の絵画 685
※(1) 黄檗画派 685
※(2) 唐絵目利派 687
※(3) 南頭派 690
※(4) 洋風画派 691
※(5) 文人画派 694
2 長崎版画 695
3 長崎の書跡 698
第5節 長崎の工芸 705
(中略)
第4節 阿蘭陀通詞と唐通事の活躍 797
(中略)
※第5節 シーボルトと鳴滝の学塾 821
※1 シーボルトの生い立ち 821
※(1) シーボルトの生い立ち 821
※(2) バタビアへの渡航 822
※(3) シーボルトの長崎渡来 824
※(4) 日本調査収集活動と研究拠点設立のこころみ 825
※(5) 研究協力者たち 825
※(6) 長崎での医療活動 826
※2 シーボルトと鳴滝の学塾 827
※(1) 学塾としての鳴滝 828
※(2) 鳴滝の門人たち 829
※(3) タキとの出会いと共同生活 830
※3 江戸参府旅行と学術交流 831
※4 シーボルト事件 833
※5 シーボルトの再来日と長崎 836
※(1) ヨーロッパでのシーボルトの活動 836
※(2) シーボルトの再来日 837
※6 シーボルトの晩年 839

(中略)

写1-19 川原慶賀筆「晧台寺図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 75
写1-21 川原慶賀藻「大光寺図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 77
写1-27 川原慶賀筆『本蓮寺図(部分)』/ライデン国立民族学博物館所蔵 84
写1-30 川原慶賀華『大徳寺図(部分)』/ライデン国立民族学博物館所蔵 88
写1-37 川原慶賀筆「水祖神祭礼図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 93
写2-22 円山応挙筆「唐人屋敷と新地」『長崎港図(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 125
写2-23 「大黒町付近の唐船」『寛文長崎図屏風(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 126
写2-29 楠本イネ宅跡付近/銅座町 163
写2-38 川原慶賀筆『長崎港傭職図(部分)』/ライデン国立民族学博物館所蔵 178
写2-39 川原慶賀筆『長崎港偏緻図(部分)』/ライデン国立民族学博物館所蔵 178
写2-41 川原慶賀筆「農村図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 180
写3-26 石崎融思筆『唐館図絵巷(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 245
写3-35 川原慶賀筆「高木家(道之助系)中島屋敷図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 254
写3-40 川原慶賀筆「町役人図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 261
写3-43 川原慶賀筆「踏絵図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 264
写3-45 川原慶賀筆「町役人図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 266
写3-46 川原慶賀筆「踏絵図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 267
写3-50 川原慶賀筆「踏絵図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 271
扉写真川原慶賀筆『長崎出島之図(部分)』/長崎大学附属図書館所蔵
写6-4 「カピタン部屋普請分担絵図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 496
写6-7 「ドゥーフ像(部分)」/神戸市立博物館蔵 500
写6-8 川原慶賀筆「ブロンホフ家族図」/神戸市立博物館蔵 503
写6-9 広渡湖秋筆「蘭船図」/長崎歴史文化博物館収蔵 503
写6-10 出島出土のコンプラ醤油瓶・酒瓶/長崎市出島復元整備室所蔵 506
写6-11 川原慶賀筆「長崎出島館内之図」/東京藝術大学所蔵 507
写6-22 川原慶賀筆『蘭館図絵巻(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 520
写6-28 川原慶賀筆「江戸参府図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 529
扉写真川原慶賀筆「観劇図(部分)」『唐蘭館絵巻(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵
写7-1 川原慶賀筆「正月図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 610
写7-2 川原慶賀筆「雛祭図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 611
写7-3 川原慶賀筆「諏訪社頭図」/長崎歴史文化博物館収蔵 612
写7-5 川原慶賀筆「精霊流図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 614
写7-8 川原慶賀簗「凧揚げ図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 617
写7-12 川原慶賀筆「彩舟流図」『唐蘭館絵巷(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 621
写7-14 川原慶賀筆「観劇図」『唐蘭館絵巻(部分)』/長崎歴史文化博物館収蔵 624
写7-16 川原慶賀筆「立花婦人図」/ライデン国立民族学博物館所蔵 627
写7-17 狩野内膳筆『南蛮屏風(部分)』/神戸市立博物館蔵 633
写7-26 川原慶賀筆「腹帯・出産」/ライデン国立民族学博物館所蔵 651
写7-27 川原慶賀筆「宮参り」/ライデン国立民族学博物館所蔵 651
写7-28 川原慶賀筆「袴着帯解き」/ライデン国立民族学博物館所蔵 652
写7-29 川原慶賀筆「元服」/ライデン国立民族学博物館所蔵 652
写7-30 川原慶賀筆「見合い」/ライデン国立民族学博物館所蔵 652
写7-31 川原慶賀筆「結納」/ライデン国立民族学博物館所蔵 653
写7-32 川原慶賀筆「道具運び(祝言前日)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 653
写7-33 川原慶賀筆「輿入れ」/ライデン国立民族学博物館所蔵 653
写7-34 川原慶賀筆「祝言」/ライデン国立民族学博物館所蔵 653
写7-35 川原慶賀筆「病臥」/ライデン国立民族学博物館所蔵 654
写7-36 川原慶賀筆「死亡」/ライデン国立民族学博物館所蔵 654
写7-37 川原慶賀筆「湯灌」/ライデン国立民族学博物館所蔵 654
写7-38 川原慶賀筆「墓掘り」/ライデン国立民族学博物館所蔵 655
写7-39 川原慶賀筆「葬列」/ライデン国立民族学博物館所蔵 655
写7-40 川原慶賀筆「寺院での葬列の迎え入れ」/ライデン国立民族学博物館所蔵 655
写7-41 川原慶賀筆「墓参り」/ライデン国立民族学博物館所蔵 655
写7-42 「長崎丸山之図」『拳会角力図会(所収M/長崎歴史文化博物館収蔵 656
写7-43 川原慶賀筆「かるた取り図(部分刀/ライデン国立民族学博物館所蔵 658
写7-55 川原慶賀筆「大村湾千綿」/ライデン国立民族学博物館所蔵 693
写8-12 川原慶賀筆「福済寺図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 738
写8-13 川原慶賀筆「崇福寺図(部分)」/ライデン国立民族学博物館所蔵 739
写8-52 川原慶賀筆「中山作三郎武徳肖像」/シーボルト記念館所蔵 807
写8-55 ブロンホフ(川原慶賀筆「ブロンホフ家族図(部分)」)/神戸市立博物館蔵 808
写8-82 川原慶賀筆「シーボルト肖像(部分)」/長崎歴史文化博物館収蔵 821
写8-83 シーボルトが所有したといわれる鳴竜の住居模型/Staatliches Museum für Völkerkunde München所蔵 827
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