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応挙工房周辺(大乗寺(その七「少年行図」「採蓮図」)) [応挙]

その九 大乗寺(その七「少年行図」「採蓮図」)

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山本守礼筆「少年行図(部分画)」(大乗寺「使者の間」北側襖四面の内)

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亀岡規礼筆「採蓮図(部分画)」(大乗寺「使者の間」西側襖四面の内)

【 少年行図(山本守礼筆) 採蓮図(亀岡規礼)
 「少年行図」を描いた山本守礼と「採蓮図」を描いた亀岡規礼とは兄弟で、守礼の方が兄である。「少年行図」も「採蓮図」も共に中国の画題で、楽曲をもとに作られているが、少年が乗馬を楽しむ様と、女性が湖に舟を浮かべ、蓮の花を手折る恋の歌の内容とが表されている。自然の中での人々の姿を描くことによって、より一層風景の持つ美しさ、爽やかさを印象付けている。品格ある描線、丁寧で整った清明な作風には共通性があり、一つの部屋を二人で制作していても、全く違和感がない。守礼はまた、大乗寺では狗子の間を描いている。 】(『大乗寺(佐々木丞平・正子編著)』所収「使者の間」)

 亀岡規礼は、明和七年(一七七〇)の生まれ、早くに、山本守礼の弟子となり、守礼の実家の亀岡の姓を継ぐ。守礼との関係は、守礼が義兄あるいは養父という関係なのであろう。本姓は笹井、名は光茂。字は子恭、通称は喜十郎。天保六年(一八三五)、六十六歳で没している。『平安人物志(文化十年版)』『平安人物志(文政五年版)』『平安人物志(文政十三年版)』に、その名が見られる。
 天明七年(一七八七)の大乗寺障壁画(使者の間)の「採蓮図」を描いたのは、若干十七歳の頃で、この作品が規礼のデビュー作品ということになろう。山本守礼は、寛政二年(一七九〇)に夭逝(三十九歳)しているので、以後、応挙門で守礼の後継者ということになろう。
 応挙の「円山派」では、応門十哲(源琦・長沢蘆雪・山口素絢・奥文鳴・吉村孝敬・森徹山・山跡鶴嶺・木下応寿・福知白瑛・亀岡規礼)と目せられるものもあり、守礼ともども、応挙画風の正しい継承者の一人として重きを成していたのであろう。

http://www.kowado.net/benkyo002.htm

 この「採蓮図」の女性像に関連して、次の守礼筆「美人機織図」(黒川古文化研究所蔵)の女性像をモデルにしている雰囲気である。

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山本守礼筆「美人機織図(部分画)」(黒川古文化研究所蔵)
紙本着色 一二七・〇×五四・〇cm

補記一 円山応挙の門人について

http://www.kurokawa-institute.or.jp/oukyomonjin.pdf

補記二 『若冲が来てくれました ブライスコレクション江戸絵画の美と生命』所収「ブライス動物園」
47 歩みよるトラ 虎図 一幅 亀岡規礼筆 絹本着色
一一七・二×四〇・〇cm

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