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応挙工房周辺(大乗寺(その十二「梅花遊禽図」) [応挙]

その十四 大乗寺(その十二「梅花遊禽図」)

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源琦筆「梅花遊禽図(部分画)」(大乗寺「鴨の間」)紙本淡彩

【 梅花遊禽図 源琦筆 鴨の間
 本図は客殿二階の東南に位置する部屋で、アーチ型に湾曲した梅の木とその下の芦の茂る池には水鳥の姿が描かれている。源琦は応挙の数ある弟子の中で只一人の内弟子であった絵師で、応挙の画法を最も忠実に受け継ぎ、応挙の右腕となって常に師を支え続けた。真面目で勤勉実直な性格を反映した素直で平明な作風は、師の応挙画を彷彿とさせるものがあり、画面奥へと続く水景は描かれていないその先までも、空間が広がるかのような表現方法である。鳥の姿の表現に見られるような丁寧な写生をもとにした作画姿勢は、叙情味に傾くことの多い弟子達の中にあって、一人師風を厳しく守り続けている。 】(『大乗寺(佐々木丞平・正子編著)』所収「鴨の間」)

 源琦は、延享四年(一七四七)の生まれ、 応挙が亡くなった二年後の寛政九年(一七九七)に没している。姓は駒井、本姓は源、名は琦で、駒井源琦と表記されることも多い。
 安永四年(一七七五)、源琦、二十九歳時に刊行された『平安人物誌』にも搭載され、同誌に載る応挙弟子は、源琦と島田元直と二人だけである。他には応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、呉春、曾我蕭白らの名が並び、源琦はこれらの絵師に並んで京都画壇の一角に名を連ねたということが解る。
 長沢芦雪と共に二哲と評された。芦雪とは対照的に師の画風を最も忠実に継承し、特に清楚な唐美人図で知られる。 他に、『木村蒹葭堂日記』にもその名が登場しており、両者には交流があった事が読み取れる。

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源琦筆「楊貴妃図」(MIHO MUSEUM蔵)H-120.8 W-61.7

http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00001879.htm


補記一 円山応挙の門人について(黒川古文化研究所)

http://www.kurokawa-institute.or.jp/oukyomonjin.pdf

補記二 池大雅の作画と文人性(黒川古文化研究所)

http://www.kurokawa-institute.or.jp/5-sugi.pdf

補記三 「鯉図屏風」と画家・渡辺南岳について(黒川古文化研究所)

http://www.kurokawa-institute.or.jp/7-sugi02.pdf

補記四 江戸中期の漢詩文にみる画人関係資料-事項一覧編‐(黒川古文化研究所) 

http://www.kurokawa-institute.or.jp/9-sugi.pdf
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