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応挙工房周辺(大乗寺(その十三「群猿図」)) [応挙]

その十五 大乗寺(その十三「群猿図」)

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芦雪筆「群猿図(部分図)」(大乗寺「猿の間」)

【 群猿図 長沢芦雪筆 猿の間
 本図は客殿二階にある部屋で、海辺の岩場に猿の群が描かれており、子猿を背負った母親や岩の上でのんびりと甲羅干しをする猿、更には海で泳いだ後岩場へ上がろうする猿など、実に表情豊かに描かれている。驚かされることは、猿の輪郭線で、象(かたど)ってから毛描きするのではなく、平筆を横に使って、毛描きと体そのものの形態描写とを、一回で済ませてしまっていることである。普通は画面は寝かせて描くものであるが、芦雪は仕立てられた白襖を立てたままで、下書きもせず、いきなり直に描いていったものと考えられる。画面には墨が垂れた後があり、芦雪の速写の力量を物語っている。 】(『大乗寺(佐々木丞平・正子編著)』所収「猿の間」)

 芦雪は、宝暦四年(一七五四)生まれ、源琦が亡くなった二年後の寛政十一年(一七九九)に大阪で客死する。奔放な性格ゆえに、応挙門を破門されたとか様々な逸話が残っているが、応挙が亡くなる最晩年の寛政七年(一七九五)の、第二次(後期)大乗寺障壁画制作に応門二哲(源琦と芦雪)が揃って参加し、応挙の「孔雀の間(松に孔雀図)」に、「鴨の間(梅花遊禽図)・源琦筆」と「猿の間(群猿図)・芦雪筆」が花を添え、天明七年(一七八七)から続く、応挙の、その一大障壁画制作が完成したということになる。
 この応門二哲の、源琦も芦雪も、応挙風の「山水画・花鳥画・人物画」の、それぞれの傑作画を今に残しているが、源琦は夙に、その源琦に連なる応門十哲の山口素絢共々、美人画(特に唐美人画)で、その名が高い。しかし、ともすると、応挙門の異端児とか「奇想画の旗手」として名を馳せている芦雪も、これまた、応挙風の美人画の世界で、源琦や素絢と肩を並べての名手なのである。

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芦雪筆「呉美人図(部分図)」(東京国立博物館蔵)一幅 107.1×40.6

補記一 山口素絢 「大乗寺・鴨の間」の「蛾蝶図」(小壁)

http://museum.daijyoji.or.jp/04sakka/04_10.html

補記二 森徹山 「大乗寺・猿の間」の「山雀図」(小壁)

http://museum.daijyoji.or.jp/04sakka/04_11.html

補記三 木下応受 「大乗寺・山水の間・郭子儀の間」の「遊亀図」(小壁)

http://museum.daijyoji.or.jp/04sakka/04_03.html

補記四 山跡鶴嶺 「大乗寺・農業の間」の「飛燕図」(小壁)

http://museum.daijyoji.or.jp/04sakka/04_13.html

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