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四季草花下絵千載集和歌巻(その一) [光悦・宗達・素庵]

(その一) 和歌巻(その一)

和歌巻1.jpg

「光悦筆 四季草花宗達下絵和歌巻」(日本古典文学会・貴重本刊行会・日野原家蔵一巻)

     百首歌たてまつりける時よめる
72 白雲とみねのさくらは見ゆれども月のひかりはへだてざりけり(待賢院堀河「千載集」)
(峰の桜は白雪とみまがうけれど、その花の雲は、月の光を遮らないよ。)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/taiken_h.html

【待賢門院堀河(生没年未詳 別称:伯女・伯卿女・前斎院六条)
村上源氏。右大臣顕房の孫。父は神祇伯をつとめ歌人としても名高い顕仲。姉妹の顕仲女(重通妾)・大夫典侍・上西門院兵衛はいずれも勅撰歌人。
はじめ前斎院令子内親王(白河第三皇女。鳥羽院皇后)に仕え、六条と称される。のち待賢門院藤原璋子(鳥羽院中宮。崇徳院の母)に仕えて堀河と呼ばれた。この間、結婚し子をもうけたが、まもなく夫と死別し(家集)、まだ幼い子は父の顕仲の養子に出した(新千載集所載歌)。康治元年(1142)、待賢門院の落飾に従い出家し、仁和寺に住んだ(山家集)。この頃、西行との親交が知られる。
院政期の代表的女流歌人。大治元年(1126)の摂政左大臣忠通歌合、大治三年(1128)の西宮歌合などに出詠。また崇徳院が主催し久安六年(1150)に奏覧された『久安百首』の作者に名を列ねる。家集『待賢門院堀河集』(以下「堀河集」と略)がある。金葉集初出。勅撰入集六十七首。中古六歌仙。女房三十六歌仙。小倉百人一首に歌をとられている。  】

(参考)

千載・上弦月.jpg

(再掲)

https://weathernews.jp/s/topics/201802/220075/

光悦筆・宗達下絵「「四季草花下絵千載集和歌巻」(部分図)  個人蔵 紙本墨書 金銀泥下絵 一巻 縦三四・〇㎝ 横九二二・二㎝
【 末尾に「伊年」印のある和歌巻のうち、浅黄、白、薄茶などの色紙をつなげ、四季の草花や景物を描いた優美な様式もの。書は作者や詞書を省略し、春の歌二十五首を選んで闊達に執筆する。慶長末期から元和初めに推定される筆跡は、掲出の月に秋草の場面からもわかるように、漢字まじりの大字を象徴的にあつかい、小字の仮名は虫のごとく、叢(くさむら)に潜めるように配置する。薄や末尾の松林などは「平家納経」補修箇所と一致し、その展開であることが示唆される。「大虚庵光悦(花押)の署名がある。 】(『もっと知りたい本阿弥光悦(玉蟲敏子他著)』)

https://www.tobunken.go.jp/materials/glass/118105.html


(追記その一)

和歌巻32a.jpg

「四季花卉下絵千載和歌巻」(「四季草花下絵千載集和歌巻」・「光悦筆 四季草花宗達下絵和歌巻」)その一・その二(『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』所収)

釈文(揮毫上の書体)=上図右側

白雲と見年濃(みねの)桜盤(は)三遊連(みゆれ)共(ども)徒幾能(つきの)日可利(ひかり)ハ隔(へだて)左里介利(ざりけり)

(追記メモ)

 一口に、光悦仮名(光悦流など)、その一端の「変体仮名=異体仮名=異なり字体」も、これまた、杓子定規ではない。

峰(みね)の=見年濃(みねの)
見ゆれども=三遊連(みゆれ)共(ども)
月のひかり=徒幾能(つきの)日可利(ひかり)
ざりけり=左里介利(ざりけり)

【 この和歌巻はもと京都一乗寺の曼殊院宮に伝わってものという。その下絵の華麗なこと。書のうるわしいことからしても、調度品として高貴の人におくられたものに相違ない。下絵の用紙は二十五枚、白色、淡黄色、淡黄色などの色紙をもちいている。紙の色と金銀の彩色の調子のうつくしさは形容しがたい。紙背に蝶の紋様をとびちらし、紙縫の二箇所に「紙師宗二」の印がある。大正三年、団琢磨(狸庵)氏に帰し、大正五年一月十日の岸光影の団氏宛添状が附いている。昭和十五年、現所有者に移った。箱の標題には、「光悦筆桜歌巻物、宗達筆四季花卉」とある。大正七年一月、四季草花絵巻一巻として複製が出来ている。  】(『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』)

※紙師宗二

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-07-13

※団琢磨

https://www.mitsuipr.com/history/people/07/

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