SSブログ

「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥(その三) [光悦・宗達・素庵]

その三 藤原(飛鳥井)雅経

鹿下絵二.JPG
「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の二「藤原雅経」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
鹿下絵和歌巻・藤原雅経.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(サントリー美術館蔵)
紙本金銀泥画・墨書/一幅 江戸時代初期・17世紀  縦33.7cm 横122.5cm

https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=704

【 もとは『新古今和歌集』巻四・秋歌上より抜き出した二十八首を散らし書きにした、全長二十メートルにも及ぶ長巻だったが、戦後に裁断されて諸家に分蔵されたものの一つ。全巻を通して地面や霞に刷かれた金銀泥によって、秋の一日の早朝から夕暮までの時間経過が叙情的に表されている。前半部分にあたる本作では、鹿がうずくまって右上から左下へと列をなす様子が描かれ、光悦は鹿を包み込み、空間と調和するようにゆったりと和歌を記している。(『サントリー美術館プレミアム・セレクション 新たなる美を求めて』サントリー美術館、2018年) 】

(周辺メモ・釈文など)

五十首哥た天ま徒里し時      → 五十首歌たてまつりし時
ふぢハらの雅経          → 藤原雅経(飛鳥井雅経)
た遍天や盤おも日安里共如何何勢無 → たへてやは思ひありともいかがせむ
む久ら濃宿濃阿支能夕暮      → 葎(むぐら)の宿の秋の夕ぐれ

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-10

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その三)(再掲)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/masatune.html

  五十首歌たてまつりし時
たへてやは思ひありともいかがせむ葎(むぐら)の宿の秋の夕ぐれ(新古364)

【通釈】耐えられるものですか。恋しい思いがあるとしても、どうにもならないわ。こんな、葎の生えた侘び住居の秋の夕暮――とてもあなたの思いを受け入れることなどできない。
【語釈】◇たへてやは 耐えていられるだろうか、いやできない。◇思ひありとも 下記本歌を踏まえて言う。
【本歌】「伊勢物語」第三段
思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも
【補記】老若五十首歌合。伊勢物語の本歌は、男が懸想した女に「ひじき藻」を贈る時に「恋の思いがあるならば、葎の宿でもかまうものか。一緒に寝ましょう。敷きものには袖があれば十分ではありませんか」と言いやったもの。雅経の歌は、女が男に応答する形をとって、「いや、葎の宿であるばかりか、今は秋という季節なのだから、思いがあっても、侘しさには耐えられないだろう」と男の申し出を拒絶している。恋の思いを「秋思」によって否定しているのである。この歌が老若歌合でも新古今集でも恋歌でなく秋歌とされているのは、そのためであろう。

藤原雅経(飛鳥井雅経) 嘉応二年~承久三(1170-1221)
関白師実の玄孫。刑部卿頼輔の孫。従四位下刑部卿頼経の二男。母は権大納言源顕雅の娘。刑部卿宗長の弟。子に教雅・教定ほかがいる。飛鳥井雅有・雅縁・雅世・雅親ほか、子孫は歌道家を継いで繁栄した。飛鳥井と号し、同流蹴鞠の祖。

狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その十一) 参議雅経と二条院讃岐

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-02-02

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖」(歌合)(その十一)参議雅経と二条院讃岐

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-10


「鹿下絵新古今集和歌巻」逍遥ノート(その一)

 「光悦書宗達下絵和歌巻」は、一匹の鹿(角のある雄鹿)からスタートとする(その一「西行法師」図)。そして、次に、もう一匹の鹿(角のある雄鹿)が登場する(その二「藤原定家」図)。
それ続く、次の画面が、この鹿の群生図(その三「藤原(飛鳥井)雅経」図)である。これに続く、その四(宮内卿)、その五(鴨長明)の歌人群は、この群生図(その三)が、「新古今集」の撰進を始め、実質的な中心的な撰者の一人であった後鳥羽上皇を中心とする、それを取り巻く歌壇(「新古今集歌壇」)の面々の見立てと解しても差し支えなかろう。
 とすると、「その一」図の鹿は西行、「その二」図)の鹿は定家という見立てになる。そして、西行と定家との出会いは、文治二年(一一八六)、西行の勧進に応じた「二見浦百首」の詠草の中で、時に、西行、六十九歳、定家、二十五歳の時である。
 この「二見浦百首」の「秋二十首」に、のちに『新古今集(巻第四)』所収「秋歌上」に撰入された、世に「三夕の歌」として名高い、次の三首のうちの「定家作」が誕生する。

361 さびしさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕暮(寂連)
362 心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ澤の秋の夕ぐれ(西行)
363 見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ(定家)

 この定家の歌には、「西行法師のすすめて百首歌詠ませはべりけるに」の詞書が付してある。そして、光悦書・宗達(伊年)画の「鹿下絵新古今集和歌巻」(諸家分蔵)は、この「362 心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ澤の秋の夕ぐれ(西行)」から始まり(「その一」図)、それに続く二番手が、この「363 見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ(定家)」(「その二」図)なのである。
 ここで、この「鹿下絵新古今集和歌巻」(諸家分蔵)の末尾を飾る藤原家隆の次の一首について触れて置きたい。

389 鳰のうみや月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり(家隆)

 千利休の秘伝書の一つとされている『南方録』(南坊宗啓著)で、その中に「紹鴎(利休の師の「竹野紹鴎」)わび茶の湯の心は、新古今集の中、定家朝臣の歌に、「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ」、この歌の心にてこそあれ」と、この歌こそが「わび茶の湯の心」と評している。
 それに続けて、「又宗易(利休の法名)、今一首見出したりとて、常に二首を書付、信ぜられしなり。同集家隆の歌に」と書き留められている、家隆の歌が次の一首なのである。

 花をのみ待つらん人に山ざとの雪間の草の春を見せばや(家隆「六百番歌合」)

 即ち、千利休の「侘び茶の理想」(草庵の茶)を具現するものとして、「新古今集」時代の二大歌人「定家・家隆」の、次の二首が挙げられるということであろう(『日本詩人選十一藤原定家(安藤次男著)』)。

 見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ(定家『新古今集』)
 花をのみ待つらん人に山ざとの雪間の草の春を見せばや(家隆「六百番歌合」)

「鹿下絵新古今集和歌巻」(諸家分蔵)の末尾を飾る藤原家隆の歌(鳰のうみや月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり)は、上記の『南方録』で紹介されている「花をのみ待つらん人に山ざとの雪間の草の春を見せばや(家隆「六百番歌合」)と、同じ響きを有していると、「鹿下絵新古今集和歌巻」の揮毫者である光悦その人は感じ取っていることであろう。
 ここに、光悦の同朋の一人である「小堀遠州」(秀忠・家光二代に仕えた近江長浜の城主・小堀遠江森政、光悦と同じく多芸のアートディレクター・茶人)が「侘び茶の理想」とした一句(「茶話指月集」の宗長の句とも宗碩の作ともいわれている)を並列して置きたい。

1 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ(定家『新古今集』)
2 花をのみ待つらん人に山ざとの雪間の草の春を見せばや(家隆「六百番歌合」)
3 鳰のうみや月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり(家隆『新古今集』)
4 夕月夜海すこしある木の間かな(宗長か宗碩の句「茶話指月集」=小堀遠州の「きれい寂び」を象徴する句)

 これらを、『茶の本(The Book of Tea) 岡倉天心著 千宗室跋・序 浅倉晃訳』から、その英訳(原訳)を記して置きたい。

1 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ(定家『新古今集』)

Gazing long to the share,
There are no blossoms
Or crimson leaves;
Out at sea!s edge a rush hut
In auturmn dusk.

2 花をのみ待つらん人に山ざとの雪間の草の春を見せばや(家隆「六百番歌合」)

To one who awaits
Only the cherry!s blossoming
I would shod
Spring in the mountain village,
Its young herbs amid snow.

3 鳰のうみや月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり(家隆『新古今集』)

4 夕月夜海すこしある木の間かな(宗長か宗碩の句「茶話指月集」=小堀遠州の「きれい寂び」を象徴する句)

A cluster of summer trees,
A bit of the sea,
A pale evening moon.

さらに、十五世千宗室の「跋文」の一節を下記に併記して置きたい。

【 茶の宗匠である紹鴎は、侘びの心を表すものとして、藤原定家卿の次の一首を選んだ。

    見わたせば
    花も紅葉もなかりけり
    浦のとまやの
    秋の夕ぐれ

 春の花のあでやかさもなければ、秋の紅葉の美しさもない。この光景から思い浮かべるのは、一種の寂しさである。おそらくこのような「不完全さ」に、人は自己本然(ほんねん)の姿をはっきりと見るのだろう。このような無一物の境涯においてのみ、私たちは自らを取り巻く事物の真の価値をみいだせるのだ。天心がいうように、「自己のなかの大いなるものの小ささを感ずることのできない人は、他人のなかの小さなものの大いさを看過(みのが)しがちなものだ。

 紹鴎が選んだ和歌の侘びには隠遁的な趣きがあるが、藤原家隆卿が詠み、利休居士が選んだ一首は、逆に明るさを待ち望んでいる。

    花をのみ
    待つらん人に
    山ざとの
    雪間の草の
    春を見せばや

 ここで、侘びは新しい意味をもってくる。私たちはそれが新しい生命力と新しい意味を持って、再びこの世に現れたと感じる。  】(『茶の本(The Book of Tea) 岡倉天心著 千宗室跋・序 浅倉晃訳』)
nice!(1)  コメント(3) 
共通テーマ:アート