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本阿弥光悦筆「千載集『序』和歌巻」その六 [光悦・宗達・素庵]

その六 「そもそもこの歌の道を……」

(桃山時代 17c 紙本雲母摺絵墨書 H-24.9 W-1459.7 所蔵 MIHO MUSEUM 猪原家旧蔵) (以下の※「校注」などは『新日本古典文学大系10 千載和歌集』などを参考)
http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00002693.htm

6-1(5-8)

序5-8.jpg

(ひろからず
歌かずすくなくして、)
のこ(残)れる歌おほし、
そのほかいま(今)の世
までのうた(歌)をとりえら(撰)べるならし)
そもそもこの歌
のみち(道)をまな
ぶることをいふに、
からくに(唐国)日の
もと(本)のひろき
ふみ(文)のみち(道)
をもまな(学)びず

※唐国日の本のひろき文の道=中国や日本の広汎な文芸の道。

6-2

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(もとのひろき
ふみのみち
をもまなびず)
しか(鹿)のその(園)
わし(鷲)のみね(峰)

ふかき御(み)のり(法)を
さと(悟)る

しも
あらず
(ただかなのよそぢ)

※鹿の園=鹿野苑のこと(成道後の釈迦が初めて説法をした所)。
※鷲の峰=霊鷲山(りょうじゅせん)(釈迦仏が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山として知られる)。

6-3 (「書図」無し)

ただかな(仮名)のよそぢ(四十)
あまりななもじ(七文字)の
うちをいでずして
こころ(心)に思ふことを
ことば(言葉)にまかせて
い(い)ひつらぬる
ならひなるがゆゑに、
みそもじ(三十文字)あまりひともじ(一文字)を

※ただかな(仮名)の……=漢詩などの複雑な文芸様式に比較して、和歌が簡単な形式であることを言う。

6-4

序6-4.jpg

(みそもじ(三十文字)あまりひともじ(一文字)を)
だによみつらねつる
ものは、いづ(出雲)もやく
も(八雲)のそこをし
のぎ、しき(敷(島)やま(山)とみこ(御)
こと(言)のさかひに
い(入)りすぎにたり
とのみおも(思)へる
なるべし、
(しかはあれども、)

※出雲八雲の……=日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。
※敷島山と……=『万葉集(三二四八)』の「磯城島(しきしま)の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひもとほり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜(よ)を」と、「同(三二四九)の「磯城島(しきしま)の大和の国に人二人ありとし思(おも)はば何か嘆かむ」とを踏まえての「和歌の境地を深く理解しきっている」というようなこと。

6-5

序6-5.jpg

しかはあれども、
まことには
き(鑚)れば
いよいよかた(堅)く
あふげ(仰)ばいよいよ
たか(高)きものは
この
やまと(大和)うた(歌)の
道に
なむありける、

※き(鑚)れば……=『新撰万葉集・序(菅原道真)』の「所謂、仰彌高(イヤダカヲ仰ギ)、鑽(キワメ )ルニ、彌(イヤイヤ)堅キ者カ」を踏まえている。

6-6

序6-6.jpg

春のはやし(林)
のはな(花)
秋のやま(山)のこ(木)の
は(葉)にしき(錦)
いろいろ(色々)に
玉こゑ(声)ごゑなりとの
みおも(思)へれど、

6-7 (「書図」無し)

やま(山)のなか(中)のふるき(古木)なをからざることおほく、
なにはえ(難波江)のあし(蘆)をかしきふし(節)あることは
かたくなんありけれど、
かつはこの(好)むこころ(心)ざしをあはれび、
かつはみち(道)をたや(絶)さざらんがために、
かはら(瓦)のまど(窓)、しば(柴)のいほり(庵)のこと(言)のは(葉)をも、
み(見)るによろしくき(聞)くにさかへざるをばもらすことなし、
勒してちうた(千歌)ふたもも(二百)ちあまり、はたまき(二十巻)とせり。

※山の中の……=すぐれた作品ばかりとは限らい、の意。
※かたくなんありけれど=すぐれた趣向の歌はなかなかないが、の意。
※好む心ざし=歌の道に心を寄せる志。
※瓦の窓、柴の庵=貧者や隠者の粗末な住居、転じてその住人、隠遁者。
※聞くにさかえざる=耳ざわりでない作品。
※勒(ろく)して=ほどよくまとめて。

(参考) 「漢字・真仮名・万葉仮名・草仮名・変体仮名=異体仮名・平仮名・片仮名・男手・女手」など

“平仮名”はこうして生まれた

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/280393/092100015/?P=4

極美な仮名と和様の書の世界

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/280393/092100016/

型の尊重。新時代の気風を表現

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/280393/092100017/?P=5

【(再掲)

 光悦は自分で日本風とか中国風という意識は無かったと思うんですが、南宋の張即之(ちょうそくし)の字を学んでいましたので、日中の書法が交じっているところがあります。

木下:その光悦ですが、「琳派」の創始と言われ、「風神雷神図屏風」の俵屋宗達とのコラボレーションした「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(つるしたえさんじゅうろっかせんわかかん)」などは、単に書ということではなくて、まさに“作品”を創作するという意識が前提に立ったものですよね。(参照「本阿弥光悦 筆/紙本金銀泥鶴図下絵和歌巻 文化遺産データベース」)

 表現の可能性を求めて、書の在り方が少しずつ変わり始めたのかなと感じます。

 光悦と宗達の、あのような絵と書の気宇壮大なコラボレーションは、やっぱりこの時代において生まれたものなのでしょうか。

島谷:それ以前の時代に、あれだけ大きい下絵のものは無いですよね。だから光悦がそういうものを、宗達にダイナミックで大きい下絵をこんなイメージで書いてくれと、注文したんだと思います。

木下:光悦がやっていたようなことは、当時最先端の、まさに“現代アート”と言えるものですよね!

島谷:もう、当時の現代アートですよ。文学と絵と書、それらが一体となったものが光悦の「鶴図下絵和歌巻」で。総合芸術とも言えますよね。

 アーティスト同士のコラボレーションということで言えば、光悦と宗達、それから同じく安土桃山から江戸初期にかけての長谷川等伯と近衛信尹ですね。(参照「近衛信尹 筆/紙本墨画檜原図 文化遺産データベース」)

 それから三筆には入ってはいませんが、忘れてはならないのが、烏丸光広(からすまるみつひろ)の豪快で天衣無縫な書ですね。(参照「烏丸光広 筆/東行記 文化遺産データベース」) 】

⾒失われた書の本質を取り戻す為に

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/280393/092200018/?P=5

先人に学ぶ「守破離」の極意

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/280393/092200019/?P=1


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