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最晩年の光悦書画巻(その十四) [光悦・宗達・素庵]

(その十四)草木摺絵新古集和歌巻(その十四・馬内侍)

馬内侍.jpg

草木摺絵新古今集和歌巻(巻末)
寛永10年(1633)10月27日 静嘉堂文庫蔵
絹本墨書 金泥摺絵 一巻 縦35.8㎝ 長957.2㎝
(拡大図)

鷹峯隠士・拡大氏.jpg

巻末には「鷹峯隠士大虚庵齢七十有六」の署名と「光悦」の黒印がある。

1161 忘れても人に語るなうたた寝の夢見てのちも長からじ世の(馬内侍「新古今」)
(忘れてもけっして人にお語りなさいますな。うたた寝の夢を見るようなあなたとの儚い一夜を過ごしてのちも、長くはあるまいと思われる命なのだから。)

 この歌には、「人にもの言ひはじめて」(「人に言葉をかはじめて」=「その人と情を通わせはじめて」)との詞書と「馬内侍」との作者名も書かれている。
 これが「花卉摺下絵新古今集和歌巻」(MOA美術館蔵)では、詞書も作者名も省かれている。

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「花卉摺下絵新古今集和歌巻」(MOA美術館蔵) 巻末の「和泉式部」(部分図)

 「花卉摺下絵新古今集和歌巻」は「紙本金銀泥摺絵墨書和歌巻」で、「草木摺絵新古今集和歌巻」、「絹本金銀泥摺絵墨書和歌巻」で、両者は「紙本」と「絹本」との違いはあるが、共に、「金銀泥摺り木版画を施したものに和歌を墨書した巻物」ということになる。
 そして、「花卉摺下絵新古今集和歌巻」は、「梅、藤、竹、芍薬、蔦」の金銀泥摺り絵の模様で、「草木摺絵新古今集和歌巻」は、「躑躅、藤、立松、忍草、蔦、雌日芝(めひしば)」
の絵の模様で、上記の「花卉摺下絵新古今集和歌巻」の巻末のものは、「蔦」の絵(模様)で、
「草木摺絵新古今集和歌巻」の巻末のものは、「雌日芝(めひしば)」の絵(模様)で、こちらには、金砂子や金銀泥の刷毛などが仕上げ用に施されている。
 そして、この「巻物」に書かれている「墨書」は、『新古今和歌集』の「巻十二(「恋歌二)」から「巻十三(恋歌三)」に掛けての歌が、「花卉摺下絵新古今集和歌巻」では二十一首(「詞書」と「作者名」は省略)、「草木摺絵新古今集和歌巻」では十三首(「詞書」と「作者名」有り)が書かれている。
 「花卉摺下絵新古今集和歌巻」は「縦三四、一㎝×長九〇七、四㎝」、「草木摺絵新古今集和歌巻」は「縦三五、八㎝×長九五七、二㎝」で、共に、九メートル以上の長大な巻物であるが、そこに書かれている歌数(前者=二十一首、後者=十三首)の違いは、後者では、「歌」のほかに「詞書と作者名」とが書かれ、前者では「歌」のみが書かれていることに因る。
 この「花卉摺下絵新古今集和歌巻」の巻頭と巻尾の歌は次のものである。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-07-16

(巻頭)
1139 袖の上にたれゆゑ月は宿るぞとよそになしても人問へかし(藤原秀能「新古今」)
(巻末)
1160 枕だに知らねばいはじ見しままに君語るなよ春の夜の夢(和泉式部「新古今」)

 そして、その十番目に書かれている歌は、次の西行の一首である。

1147 なにとなくさすがに惜しき命かなあり経(へ)ば人や思ひ知るとて(西行「新古今」)

 これは、慶長十年(一六〇五)、光悦の四十八歳前後の作品なのであるが、これが、光悦の最晩年の寛永十年(一六三三)、七十六歳時の「草木摺絵新古今集和歌巻」の巻頭の一首に、
この十番目の西行の一首が登場するのである。その巻尾の一首は、上記の和泉式部の歌の次に配列されている馬内侍(うまのないし)の一首なのである。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-07-15

(巻頭)
1147 なにとなくさすがに惜しき命かなあり経(へ)ば人や思ひ知るとて(西行「新古今」)
(巻末)
1161 忘れても人に語るなうたた寝の夢見てのちも長からじ世の(馬内侍)

 この「馬内侍」については、次のアドレスのものを掲載して置きたい。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/umanaisi.html

馬内侍(うまのないし)生没年未詳(949頃-1011頃) 別称:中宮内侍

文徳源氏。源能有の玄孫。左馬権頭(または右馬頭)源時明の娘(尊卑分脈・中古三十六歌仙伝)。実父は時明の兄致明という。
はじめ斎宮女御徽子女王に仕え、円融天皇代、堀河中宮(藤原兼通女)に仕えたらしい。のち、選子内親王・東三条院詮子に仕え、一条院后定子の立后の際、掌侍となる。伊尹・道隆・実方・道長・公任など、多くの貴公子と交渉を持った。晩年、出家して宇治院に住む。中古三十六歌仙。女房三十六歌仙。梨壺の五歌仙。拾遺集初出。勅撰入集三十八首。家集『馬内侍集』がある。『大斎院前の御集』(『馬内侍歌日記』とも呼ばれた)にも多くの歌を載せる。

 この馬内侍のプロフィールにある「伊尹・道隆・実方・道長・公任など、多くの貴公子と交渉を持った」とあるとおり、「藤原伊尹」(藤原北家、右大臣・藤原師輔の長男、後に、摂政・太政大臣となる)、「藤原道隆」(藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の長男。官位は正二位・摂政・関白・内大臣)、「藤原実方」(左大臣・藤原師尹の孫、侍従・藤原定時の子。官位は正四位下・左近衛中将)、「藤原道長」(藤原北家 、 摂政 関白 太政大臣 ・ 藤原兼家 の五男(または四男)。 後一条天皇 ・ 後朱雀天皇 ・ 後冷泉天皇 の 外祖父 にあたる)、そして、「藤原公任」(藤原北家小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。小倉百人一首では大納言公任。『和漢朗詠集』の撰者としても知られる)と、いわゆる、摂関政治の黄金時代を彩るエリート公家・歌人と渡り合った、これまた、エリート女房・歌人の一人ということになる。
 そして、この「馬内侍」の前に配列されている「伊勢」と「和泉式部」と、この三人の「伊勢・和泉式部・馬内侍」とを並列されると、さながら、「王朝女流歌人の三羽烏」、そして、藤原道長が和泉式部に戯れに呈した「浮かれ女」を冠すると、「華麗な恋愛遍歴に彩られた王朝女流歌人の三羽烏」ということになる。
 それにしても、『新古今和歌集』の、この「巻第十三、恋歌三」の、この「伊勢・和泉式部・馬内侍」の三首続きは圧巻である。

(伊勢)
    忍びたる人と二人臥して
夢とても人に語るな知るといへば手枕ならぬ枕だにせず(伊勢「新古1159」)
(夢の中のこととしてでも、人にお語りなさいますな。枕は共寝の秘密を知るといいますから、手枕でない枕さえもしていないのです。)

(和泉式部)
    題しらず
枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢(和泉式部「新古1160」)
(枕さえ知らないのですから、告げ口はしないでしょう。ですからあなた、見たままに人に語ったりしないで下さい、私たちの春の夜の夢を。)

(馬内侍)
   人にもの言ひはじめて
忘れても人に語るなうたた寝の夢見てのちも長からじ世の(馬内侍「新古1161」)
(忘れてもけっして人にお語りなさいますな。うたた寝の夢を見るようなあなたとの儚い一夜を過ごしてのちも、長くはあるまいと思われる命なのだから。)

 そして、四十代に挑戦した、同じ、「新古今和歌集」の『新古今和歌集』の「巻十二(「恋歌二)」から「巻十三(恋歌三)」に掛けての歌が、七十代には、晩年の光悦書に特徴的な「震え」のある書風の「肉細く筆鋒の鋭さを加えた、筆の運びもおそく枯淡の味を深めてゆく」、その「書画一致の美の世界」は、まさに、光悦が最晩年の世界と言えるであろう。
 そして、そこに、「華麗な恋愛遍歴に彩られた王朝女流歌人の三羽烏」の「伊勢・和泉式部・馬内侍」の三首が、何とも、光悦の最晩年の華やぎ」を見るような思いがして来る。
 ここで、晩年の光悦の「寛永期以降の光悦書画巻」の総括的な記述を掲載して置きたい。

【 鷹峯の大虚庵に居住し、書の揮毫に明け暮れたと伝えられている晩年の光悦は、寛永三年(一六二六)から寛永十三年(一六三六)にいたるまで、寛永の年紀をもつ約二十点余りの書画巻を残している。ここに巻頭と巻末を紹介した「草木摺絵新古今集和歌巻」のように、これらはおおむね絹本の上に金泥のみの摺絵を施し、晩年の光悦書に特徴的な「震え」のある書風を見せている。摺絵模様は、慶長期の金銀泥摺絵のものと異なり、いわゆる「光悦本」の雲母摺下絵に見出されることでも注目される。たとえば、雌日芝が表章(おもてあきら)の分類による特製本(川瀬分類では第一種)や上製本(同第三・四種)に見られ、藤、躑躅などの図様は、表の分類の色替わり本(同第二種)や袋綴別製普通本(同第九種)などの一部に見出されるのである。書画巻と謡本が同版を共有している可能性が高く、年紀のある寛永期の書画巻は、多くの版種をもつ「光悦謡本」の出版時期やその制作背景の研究にも約立つのではなかろう。】
(『もっと知りたい本阿弥光悦(玉蟲敏子他著)』)

                                             
(追記一) 「四季草花下絵新古今集和歌色紙」(藤原俊成和歌・ベルリン国立アジア美術館蔵)メモ

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https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31813030V10C18A6BC8000/

【 下絵は金泥の林から滝が右上から左にかけて弧を描いて垂下し、飛沫や波を立てて流れていくダイナミックな自然景である。対する書は、上の句を滝のカーブや盛り上がる波頭に合わせて、中央を斜めに「聞人そ涙ハ/落帰雁(おつるかえるかり)/」と漢字を多く用いて豪快にしるし、下の句の「鳴て行/くな/る/曙」を右下の流水に散らし、残りの「濃(の)/空」の二字を上部の滝の向こう側に配する。これなどを見ていると、つくづく力ある下絵に反応し、その方向性を、書の力によっていっそう高めようとする光悦の意欲に圧倒される思いがする。そして、力強い色紙の出現と重なるようにして、巻物という新しい形式が現れていくのである。】(『日本美術のことばと絵・玉蟲敏子著・角川選書』) 

(追記二) 江戸絵画(「金」と「銀」と「墨」)の空間(メモ)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-07-13


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