SSブログ

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十五) [光悦・宗達・素庵]

(その二十五)「鶴下絵和歌巻」L図(2-3山部赤人)

鶴下絵和歌巻L図.jpg

伊勢 三輪の山いかに待ち見む年経とも 尋ぬる人もあらじと思へば(「撰」「俊」)
2-3山部赤人 明日からは若菜摘まむと占めし野に 昨日も今日も雪は降りつつ(「撰」「俊」)
(釈文)安須可ら盤若菜徒ま牟としめし野尓昨日も今日も雪ハふ利徒々
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(「万葉集」8-1427)
(「新古今集」1-11)

【通釈】明日からは春の若菜を摘もうと標縄を張っていた野に、昨日も今日も雪が降ってばかりで…。
【補記】初春の行事としての若菜摘みは若い女性の仕事とされたので、この歌も少女の立場で詠まれたものであろう。
【他出】赤人集、新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、新古今集、定家八代抄、秀歌大躰、時代不同歌合、歌枕名寄、夫木和歌抄、桐火桶、和歌口伝抄、冷泉家和歌秘々口伝
(初二句を「明日からは若菜つまむと」とする本が多い。)

山部赤人一.jpg

山部赤人/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

明日からは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(「新古今集」1-11)

山部赤人二.jpg

『三十六歌仙』(山部赤人)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る(『万葉集』6-919)
(『新古今集』仮名序)

【通釈】和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生える岸辺を目指して鶴が鳴き渡ってゆく。
【語釈】◇若の浦 原文は「若浦」。和歌山市の旧和歌浦。
【他出】[反歌二] 赤人集、古今和歌六帖、前十五番歌合、三十六人撰、金玉集、深窓秘抄、和歌体十種(古歌体)、奥義抄、五代集歌枕、袖中抄、和歌十体(古体)、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、時代不動歌合、色葉和難集、続古今集、歌枕名寄、夫木和歌抄、桐火桶、井蛙抄、秘蔵抄
【補記】反歌第二首は古今集仮名序の古注に赤人の例歌として挙られるなど、古来赤人の代表作とされた。

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その三)

鹿下絵和歌巻・藤原雅経.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(サントリー美術館蔵)
紙本金銀泥画・墨書/一幅 江戸時代初期・17世紀  縦33.7cm 横122.5cm

https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=704

 もとは『新古今和歌集』巻四・秋歌上より抜き出した二十八首を散らし書きにした、全長二十メートルにも及ぶ長巻だったが、戦後に裁断されて諸家に分蔵されたものの一つ。全巻を通して地面や霞に刷かれた金銀泥によって、秋の一日の早朝から夕暮までの時間経過が叙情的に表されている。前半部分にあたる本作では、鹿がうずくまって右上から左下へと列をなす様子が描かれ、光悦は鹿を包み込み、空間と調和するようにゆったりと和歌を記している。(『サントリー美術館プレミアム・セレクション 新たなる美を求めて』サントリー美術館、2018年)

(周辺メモ・釈文など)

五十首哥た天ま徒里し時      → 五十首歌たてまつりし時
ふぢハらの雅経          → 藤原雅経(飛鳥井雅経)
た遍天や盤おも日安里共如何何勢無 → たへてやは思ひありともいかがせむ
む久ら濃宿濃阿支能夕暮      → 葎(むぐら)の宿の秋の夕ぐれ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/masatune.html

  五十首歌たてまつりし時
たへてやは思ひありともいかがせむ葎(むぐら)の宿の秋の夕ぐれ(新古364)

【通釈】耐えられるものですか。恋しい思いがあるとしても、どうにもならないわ。こんな、葎の生えた侘び住居の秋の夕暮――とてもあなたの思いを受け入れることなどできない。
【語釈】◇たへてやは 耐えていられるだろうか、いやできない。◇思ひありとも 下記本歌を踏まえて言う。
【本歌】「伊勢物語」第三段
思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも
【補記】老若五十首歌合。伊勢物語の本歌は、男が懸想した女に「ひじき藻」を贈る時に「恋の思いがあるならば、葎の宿でもかまうものか。一緒に寝ましょう。敷きものには袖があれば十分ではありませんか」と言いやったもの。雅経の歌は、女が男に応答する形をとって、「いや、葎の宿であるばかりか、今は秋という季節なのだから、思いがあっても、侘しさには耐えられないだろう」と男の申し出を拒絶している。恋の思いを「秋思」によって否定しているのである。この歌が老若歌合でも新古今集でも恋歌でなく秋歌とされているのは、そのためであろう。

藤原雅経(飛鳥井雅経) 嘉応二年~承久三(1170-1221)
関白師実の玄孫。刑部卿頼輔の孫。従四位下刑部卿頼経の二男。母は権大納言源顕雅の娘。刑部卿宗長の弟。子に教雅・教定ほかがいる。飛鳥井雅有・雅縁・雅世・雅親ほか、子孫は歌道家を継いで繁栄した。飛鳥井と号し、同流蹴鞠の祖。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:アート