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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十) [光悦・宗達・素庵]

(その三十)「鶴下絵和歌巻」N図(2-8藤原高光)

鶴下絵和歌巻N図.jpg

小野小町 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(「撰」「俊」)
藤原朝忠 万代(よろづよ)の初めと今日を祈り置きて 今行末は神ぞ知るらむ(「撰」「俊」)
2-8 藤原高光 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(「撰」「俊」)
(釈文)可久ハ可利へ可多久見遊る世中尓浦山し久も須める月可那

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asatada.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamitu.html

   法師にならむとおもひたち侍りける比、月を見侍りて
かくばかりへがたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(拾遺435)

【通釈】これほどにまで過ごし難く思える世の中にあって、羨ましいことに、清らかに澄みながら悠然と住んでいる月であるなあ。
【語釈】◇うらやましくも 「山」を隠し、出家しての山住いを暗示している。◇すめる 「澄める」「住める」の掛詞。
【補記】家集では詞書「村上の御門かくれさせ給ひての比月を見て」。村上天皇崩御は康保四年(967)年。また『栄花物語』では、異母姉で村上天皇の中宮安子の崩御(康保元年)などを「あはれ」に思った高光が出家する際に詠んだ歌としている。

藤原高光一.jpg

藤原高光/高倉大納言永慶:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

   法師にならむとおもひたち侍りける比、月を見侍りて
かくばかりへがたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(拾遺435)

【通釈】これほどにまで過ごし難く思える世の中にあって、羨ましいことに、清らかに澄みながら悠然と住んでいる月であるなあ。
【語釈】◇うらやましくも 「山」を隠し、出家しての山住いを暗示している。◇すめる 「澄める」「住める」の掛詞。
【補記】家集では詞書「村上の御門かくれさせ給ひての比月を見て」。村上天皇崩御は康保四年(967)年。また『栄花物語』では、異母姉で村上天皇の中宮安子の崩御(康保元年)などを「あはれ」に思った高光が出家する際に詠んだ歌としている。

藤原高光二.jpg

『三十六歌仙』(藤原高光)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamitu.html

   ひえの山にすみ侍りけるころ、人のたき物をこひて侍りければ、侍り
   けるままにすこしを、梅の花のわづかにちりのこりて侍る枝につけて
   つかはしける
春すぎて散りはてにける梅の花ただかばかりぞ枝にのこれる(拾遺1063)

【通釈】春が過ぎて散り果ててしまった梅の花――ただ香だけが枝に残っています。少しだけ残った梅花香をお贈りいたしましょう。
【語釈】◇ただかばかりぞ たったこれほどばかり。「か」に香を掛け、実際に贈ったのは梅の花でなく梅花香であったことを暗示する。
【補記】拾遺集の作者名は如覚法師。出家して比叡山に住んでいた頃、ある人が薫物を請うたので、僅かに残っていた梅花香を贈った、ということらしい。

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その一)

「鹿下絵和歌巻断簡」の後半部分(三分の一程度)は「シアトル美術館蔵」となっている。そのシアトル美術館蔵の和歌巻断簡に揮毫されている歌数は、次の十二首である。

『新古今和歌集(巻四・秋歌上)』
378  左衛門督通光 [詞書]みなせにて十首哥たてまつりし時
むさし野やゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらん
379  前大僧正慈円 [詞書]百首哥たてまつりし時月哥
いつまてかなみたくもらて月は見し秋まちえても秋そこひしき
380  式子内親王
なかめわひぬ秋よりほかのやともかな野にも山にも月やすむらん
381  円融院御哥 [詞書]題しらす
月かけのはつ秋風とふけゆけは心つくしにものをこそおもへ
382  三条院御哥
あしひきの山のあなたにすむ人はまたてや秋の月をみるらん
383  堀河院御哥 [詞書]雲間微月といふ事を
しきしまやたかまと山のくもまより光さしそふゆみはりの月
384  堀河右大臣 [詞書]題しらす
人よりも心のかきりなかめつる月はたれともわかしものゆへ
385  橘為仲朝臣
あやなくもくもらぬよゐをいとふかなしのふのさとの秋のよの月
386  法性寺入道前関白太政大臣
風ふけはたまちるはきのしたつゆにはかなくやとる野辺の月かな
387  従三位頼政
こよひたれすゝふく風を身にしめてよしのゝたけの月をみるらん
388  大宰大弐重家 [詞書]法性寺入道前関白太政大臣家に月哥あまたよみ侍けるに
月みれはおもひそあへぬ山たかみいつれのとしの雪にかあるらん
389  藤原家隆朝臣 [詞書]和哥所哥合に湖辺月といふことを
にほのうみや月の光のうつろへはなみの花にも秋はみえけり

鹿下絵・シアトル一.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その一)
鹿下絵・シアトル二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その二)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その一」と「その二」の「前半二行」)は次の一首である。

378  左衛門督通光 [詞書]みなせにて十首哥たてまつりし時
むさし野やゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらん

(釈文)水無瀬尓天十首濃哥多天まつ利し時 右衛門督通光
 無左し野や行共秋能ハて曾那支 如何成風濃末尓吹ら舞

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mititeru.html

  水無瀬にて、十首歌たてまつりし時
武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風かすゑに吹くらむ(源通光「新古378」)

【通釈】武蔵野を行けども行けども、秋の景色は果てがなく、あわれ深さも果てがない。野末には、どんな風が吹いているのだろう。
【語釈】◇武蔵野 関東平野西部の台地。薄や萱の茂る広大な原野として詠まれる。◇秋の果てぞなき 武蔵野の果てしなさに掛けて、秋のあわれ深い情趣が尽きないことを言う。◇いかなる風か… 今、風は野を蕭条と吹いているが、まして野末に至れば、どれほど…。「末」には「秋の末」の意が響き、晩秋になれば、との心を読み取ることも可能か。下句秀逸。

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