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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十七) [光悦・宗達・素庵]

(その二十七)「鶴下絵和歌巻」M図(2-5紀友則)

鶴下絵和歌巻M図.jpg

僧正遍照 末の露本の滴や世の中の 遅れ先立つためしなるらむ(「撰」「俊」)
2-5紀友則  東路の小夜の中山なかなかに 何しか人を思ひ初めけむ(「俊」)
(釈文)東路濃左や乃な可山那可々々尓何し可人をおも日曽め劒
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tomonori.html

東路(あづまぢ)のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ(古今594)

【通釈】東海道にある小夜の中山ではないが、なまなかに、どうして人を恋し始めてしまったのであろう。
【語釈】◇東路 東海道。あるいは東国。◇さやの中山 遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、街道の難所の一つ。「なかなかに」を導く。◇なかなかに なまじっか。中途半端に。どうせ思いを遂げられはしないのに…といった気持を含む。
【補記】初二句は同音の繰り返しから「なかなかに」を導く序。同時代に全く同じ序詞を用いた歌が他にもあり(【参考歌】)、流行句となっていたことが窺われる。「さやの中山」は街道の難所として知られていたため、初二句は恋路の苦しさの暗喩ともなっている。

紀友則一.jpg

紀友則/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tomonori.html

夕されば蛍よりけに燃ゆれどもひかり見ねばや人のつれなき(古今562)

【通釈】夕方になると、私の思いは蛍よりひどく燃えるけれども、蛍と違って光は見えないので、恋人は冷淡な態度をとるのだろうか。
【補記】当時の常識からすると、夕方に男の訪れを待つ女の立場で詠んだ歌ということになる。心は蛍に劣らず燃えているのに、光を発するわけではないので、人にはこの思いが伝わらない。そのことを悲しむ心が余情になっている。

紀友則二.jpg

『三十六歌仙』(紀友則)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

夕されば蛍よりけに燃ゆれどもひかり見ねばや人のつれなき(古今562)

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その五)

鹿下絵和歌巻・藤原定家.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(個人蔵)

(「藤原定家」周辺メモ)

西行法師すすめて、百首歌よませ侍りけるに
2 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮(新古363)

【通釈】あたりを見渡してみると、花も紅葉もないのだった。海辺の苫屋があるばかりの秋の夕暮よ。
【語釈】◇花も紅葉も 美しい色彩の代表として列挙する。◇苫屋(とまや) 菅や萱などの草で編んだ薦で葺いた小屋。ここは漁師小屋。
【補記】文治二年(1186)、西行勧進の「二見浦百首」。今ここには現前しないもの(花と紅葉)を言うことで、今ここにあるもの(浦の苫屋の秋の夕暮)の趣意を深めるといった作歌法はしばしば定家の試みたところで、同じ頃の作では「み吉野も花見し春のけしきかは時雨るる秋の夕暮の空」(閑居百首)などがある。新古今集秋に「秋の夕暮」の結句が共通する寂蓮の「さびしさはその色としも…」、西行の「心なき身にもあはれは…」と並べられ、合せて「三夕の歌」と称する。

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

【「闇を暗示する銀泥」 「鶴下絵和歌巻」において雲や霞はもっぱら金泥で表されていたが、この和歌巻では銀泥が主要な役割を果たすようになっている。これは夕闇を暗示するものなるべく、中間の明るく金泥のみの部分を月光と解えるならば、夕暮から夜の景と見なすとも充分可能であろう。なぜなら、有名な崗本天皇の一首「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かずいねにけらしも」(『万葉集』巻八)に象徴されるように、鹿は夕暮から夜に妻を求めて鳴くものとされていたからである。朝から夕暮までの一日の情景とみることも可能だが、私は鹿の伝統的なシンボリズムを尊重したいのだ。 】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/jomei.html

   崗本天皇の御製歌一首
夕されば小倉の山に鳴く鹿はこよひは鳴かず寝(い)ねにけらしも(万8-1511)

【通釈】夕方になると、いつも小倉山で鳴く鹿が、今夜は鳴かないぞ。もう寝てしまったらしいなあ。
【語釈】◇小倉の山 不詳。奈良県桜井市あたりの山かと言う。平安期以後の歌枕小倉山(京都市右京区)とは別。雄略御製とする巻九巻頭歌では原文「小椋山」。◇寝(い)ねにけらしも 原文は「寐宿家良思母」。「寐(い)」は睡眠を意味する名詞。これに下二段動詞「寝」をつけたのが「いね」である。
【補記】「崗本天皇」は飛鳥の崗本宮に即位した天皇を意味し、舒明天皇(高市崗本天皇)・斉明天皇(後崗本天皇)いずれかを指す。万葉集巻九に小異歌が載り、題詞は「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首」すなわち雄略天皇の作とし、第三句「臥鹿之(ふすしかは)」とある。
【他出】古今和歌六帖、五代集歌枕、古来風躰抄、雲葉集、続古今集、夫木和歌抄
【参考歌】雄略天皇「万葉集」巻九
夕されば小椋の山に臥す鹿は今夜は鳴かず寝ねにけらしも
【主な派生歌】
夕づく夜をぐらの山に鳴く鹿のこゑの内にや秋は暮るらむ(*紀貫之[古今])
鹿のねは近くすれども山田守おどろかさぬはいねにけらしも(藤原行家)
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