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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十六) [光悦・宗達・素庵]

(その二十六)「鶴下絵和歌巻」M図(2-4僧正遍照)

鶴下絵和歌巻M図.jpg

2-4僧正遍照 末の露本の滴や世の中の 遅れ先立つためしなるらむ(「撰」「俊」)
(釈文)須衛濃露もと能し徒くや世中乃を久禮さ幾多徒ためし成ら牟
紀友則  東路の小夜の中山なかなかに 何しか人を思ひ初めけむ(「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/henjou.html

  題しらず
すゑの露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらむ(新古757)

【通釈】葉末に留まっている露と、根もとに落ちた雫と――人に後れたり、人に先立って亡くなる、この世の無常の例なのだろう。
【補記】「すゑの露」は辛うじて留まっている命の比喩であり、「もとのしづく」(根もとの雫)は「末の露」に先んじて消えた命の比喩。いずれ消えることに変わりはなく、わずかな遅速の差にすぎない、ということ。公任の『前十五番歌合』『三十六人撰』『深窓秘抄』といった秀歌撰に採られながら、新古今集に至るまで勅撰集入集に漏れ続けた作。新古今哀傷歌の巻頭。『遍昭集』には「世のはかなさの思ひ知られはべりしかば」との詞書がある。

僧正遍照一.jpg

僧正遍昭/滋野井大納言季吉:狩野探幽/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

すゑの露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらむ(新古757)

僧正遍照二.jpg

『三十六歌仙』(僧正遍照)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/henjou.html

   大和の布留(ふる)の山をまかるとて
いそのかみ布留の山べの桜花うゑけむ時をしる人ぞなき(後撰49)

【通釈】古い由緒を持つ布留の山の桜花、これらの木々を植えたのはいつのことか、その時代を知る人はいないのだ。
【語釈】◇いそのかみ 奈良県天理市、石上神宮周辺の土地の古称。「ふる」の枕詞でもある。◇布留の山べ 石上神宮が鎮座する山。「山べ」は「山辺」でなく単に「山」と言うのと同じ。
【補記】石上神宮は崇神天皇の創始と伝わるほどに古い由緒を持ち、大神神社とともに日本最古の神社とも言われている。だからこそ「古」との掛詞は言葉の遊戯を超えた重みを持つことになる。因みに布留の近辺には遍昭の母の家があり、また遍昭は石上神宮の神主の家の出である布留今道(ふるのいまみち)と親交があった。布留は作者にとっても古馴染みの土地だったのである。

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その四)

鹿下絵和歌巻・西行.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(山種美術館蔵)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215347

(「西行法師」周辺メモ)

1 西行法師:こころなき身にもあはしられけりしぎたつ沢の秋の夕ぐれ(山種美術館蔵)

(釈文)
西行法師
こ々路那幾身尓も哀盤しら禮介利
鴫多徒澤濃秋乃夕暮

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saigyo.html

   秋 ものへまかりける道にて
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮(山家集470)[新古362]

【通釈】心なき我が身にも、哀れ深い趣は知られるのだった。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮――。
語釈】◇心なき身 種々の解釈があるが、「物の情趣を解さない身」「煩悩を去った無心の身」の二通りの解釈に大別できよう。前者と解すれば出家の身にかかわりなく謙辞の意が強くなる。下に掲げた【鑑賞】は、後者の解に立った中世歌学者による評釈である。◇鴫たつ沢 鴫が飛び立つ沢。鴫はチドリ目シギ科に分類される鳥。多種あるが、多くは秋に渡来し、沼沢や海浜などに棲む。非繁殖期には単独で行動することが多く、掲出歌の「鴫」も唯一羽である。飛び立つ時にあげる鳴き声や羽音は趣深いものとされた。例、「暁になりにけらしな我が門のかり田の鴫も鳴きて立つなり」(堀河百首、隆源)、「をしねほす伏見のくろにたつ鴫の羽音さびしき朝霜の空」(後鳥羽院)
【補記】秋の夕暮の沢、その静寂を一瞬破って飛び立つ鴫。『西行物語』では東国旅行の際、相模国で詠まれた歌としているが、制作年も精しい制作事情なども不明である。『御裳濯河歌合』で前掲の「おほかたの露にはなにの」と合わされ、判者俊成は「鴫立つ沢のといへる、心幽玄にすがたおよびがたし」と賞賛しつつも負を付けた。また俊成は千載集にこの歌を採らず、そのことを人づてに聞いた西行はいたく失望したという(『今物語』)。『西行法師家集』は題「鴫」、新古今集は「題しらず」。

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

【「鹿下絵新古今集和歌巻」は戦後小刀を入れて諸家に分藏されることになったが、もちろん本来は一巻の巻物であった。しかも全長二〇mを超える大巻であったらしい。この下絵も鹿という単一のモチーフで構成されている。鹿はたたずみ、群れる。雌雄でじゃれ合い、戯れる。跳びはね、走る。そして山の端に姿を消していく。鹿の視線や動きのベクトルは、画面内でさまざまに変化する。先に指摘した「鶴下絵和歌巻」の特異な構成は、この和歌巻と比較することによって一層はっきりするであろう。】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

【「西行への傾倒」 光悦が選んだのは『新古今和歌集』巻四「秋歌 上」、岩波文庫版でいえば三六二番から三八九番までにあたる。つまり西行法師の「こころなき身にもあはしられけりしぎたつ沢の秋の夕ぐれ」から藤原家隆の「鳰のうみや月のひかりにうつろへば浪の花にも秋は見えけり」まで連続する二八首である。西行法師の前後には、寂連法師の「さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮」と藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」がある。有名な三夕の和歌、これをもって秋歌の和歌巻を始めようとするのはだれでも思いつく着想であろう。
 しかし光悦は寂連をカットし、いきなり西行から書きだした。それは光悦が西行を高く評価し、西行に対する特別の感情をもっていたからである。『本阿弥行状記』には西行に関することが数条見出されるが、とくに「心なき」の一首は一七二条に取り上げられている。この一首にならって、飛鳥井雅章は「あはれさは秋ならねどもしられけり鴫立沢のあとを尋ねて」と詠んだ。ところがこの鴫立沢というのは、西行の和歌によって後人が作り出した名所であったので、このような詠吟は不埒であると勅勘を蒙ったという話である。雅章の恥となるような逸話を持ち出しつつ、西行の素晴らしさを際立たせたわけである。それにしても、並の書家であれば三夕の和歌の一つをカットすることなど、絶対にしなかったであろう。 】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

【『本阿弥行状記』一七二段
  心なき身にも哀れは知られけり鴫立沢の秋の夕暮 西行法師
 これを秀吟は西行東国行脚の時なり。その旧跡、相模国に鴫立沢と申て庵なども有之候由。然るに飛鳥井雅章卿
  あはれさは秋ならねともしられけり鴫立沢のあとを尋ねて
と申歌を詠給ふ事、右鴫立沢と申は後人の拵へし所なるを、かく詠吟の事不埒也と勅勘を蒙り給ひしとぞ。道を大切になし給ふ事難有御事也。 】(『本阿弥行状記と光悦(正木篤三著)』)
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