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源氏物語画帖(その十七・絵合」(光吉筆:京博本)周辺 [源氏物語画帖]

17 絵合(光吉筆) =(詞)竹内(曼殊院)良恕(一五七三~一六四三)   源氏31歳春

光吉・絵合.jpg
源氏物語絵色紙帖 絵合  画・土佐光吉
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/590649/2

良恕法親王・絵合.jpg

源氏物語絵色紙帖 絵合  詞・竹内(曼殊院)良恕
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/590649/1

(「竹内(曼殊院)書の「詞」)

https://matuyonosuke.hatenablog.com/entry/2019/03/18/%E7%B5%B5%E5%90%88_%E3%81%88%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%83%BB%E3%82%91%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%80%90%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%83%E5%B8%96%E3%80%91

内大臣、権中納言、参りたまふ。その日、帥宮も参りたまへり、いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば大臣の、下にすすめたまへるやうやあらむ、ことことしき召しにはあらで、殿上におはするを仰せ言ありて御前に参りたまふ。
(第三章 後宮の物語 第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ )

3.2.5 内大臣、権中納言、参りたまふ。その日、帥宮も参りたまへり。いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、 大臣の、下にすすめたまへるやうやあらむ、 ことことしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて、 御前に参りたまふ。
(内大臣、権中納言、参上なさる。その日、帥宮も参上なさった。たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が、内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを、御下命があって御前に参上なさる。)

(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第十七帖 絵合
 第一章 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執
  第一段 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する
  第二段 源氏、朱雀院の心中を思いやる
  第三段 帝と弘徽殿女御と斎宮女御
  第四段 源氏、朱雀院と語る
 第二章 後宮の物語 中宮の御前の物語絵合せ
  第一段 権中納言方、絵を集める
  第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備
  第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ
  第四段 「竹取」対「宇津保」
  第五段 「伊勢物語」対「正三位」
 第三章 後宮の物語 帝の御前の絵合せ
  第一段 帝の御前の絵合せの企画
  第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ
(「竹内(曼殊院)書の「詞」)→ 3.2.5
  第三段 左方、勝利をおさめる
 第四章 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明
  第一段 学問と芸事の清談
 第二段 光る源氏体制の夜明け
 第三段 冷泉朝の盛世
 第四段 嵯峨野に御堂を建立

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=2675

源氏物語と「絵合」(川村清夫稿)

【光源氏は内大臣、頭中将は権中納言になり、政治の実権を握った。冷泉帝の後宮に光源氏は六条御息所の遺児である斎宮女御、権中納言は娘の弘徽殿女御を輿入れして、帝の寵愛を競わせた。帝の母である中宮(藤壷女御)の御前で斎宮女御と弘徽殿女御の間で絵合せが催されることになり、光源氏と権中納言は競って優れた絵を収集した。光源氏は伝統的、権中納言は現代的な趣味だった。ここではその第1回戦を紹介する。斎宮女御側は左、弘徽殿女御側は右に分かれ、左側が出品した「竹取物語」の物語絵を批評している。大島本の原文、渋谷栄一の現代語訳、ウェイリーとサイデンステッカーの英訳の順に見てみよう。

(大島本原文)
 「なよ竹の古りにけること、をかしきふしもなけれど、かぐや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、あさはかなる女、目及ばぬならむかし」
と言ふ。右は、
「かぐや姫ののぼりけむ雲居は、げに、及ばぬことなれば、誰も知りがたし。この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、百敷のかしこき御光には並ばずなりにけり。阿部のおほしが千々の黄金を捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるも、いとあへなし。車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて玉の枝に疵をつけたるをあやまち」となす。

(渋谷現代語訳)
 「なよ竹の代々に歳月を重ねたこと、特におもしろいことはないけれど、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った運勢は立派で、神代のことのようなので、思慮の浅い女にはきっと分からないでしょう」
と言う。右方は、
「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。阿部の御主人が千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」

(ウェイリー英訳)
“We admit that this story, like the ancient bamboo-stem in which its heroine was found, has in the course of ages become a little loose in the joints. But the character of Lady Kaguya herself, so free from all strain of worldly impurity, so nobly elevated both in thought and conduct, carries us back to the Age of the Gods, and if such a tale fails to win your applause, this can only be because it deals with matters far beyond the reach of your frivolous feminine comprehensions.” To this the other side replied: “The Sky Land to which Lady Kaguya was removed is indeed beyond our comprehensions, and we venture to doubt whether any such place exists. But if we regard merely the mundane part of your story, we find that the heroine emanated from a bamboo joint. This gives to the story from the start an atmosphere of low life which we for our part consider very disagreeable. We are told that from the lady’s person there emanated a radiance which lit up every corner of her foster-father’s house. But these fireworks, if we remember aright, cut a very poor figure when submitted to the august light of His Majesty’s palace. Moreover the episode of the fireproof ratskin ends very tamely, for after Abe no Oshi had spent thousands of gold pieces in order to obtain it, no sooner was it put to the test than it disappeared in a blaze of flame. Still more lamentable was the failure of Prince Kuramochi who, knowing that the journey to Fairyland was somewhat difficult, did not attempt to go there but had a branch of the Jewel Tree fabricated by his goldsmith; a deception which was exposed at the first scratch.”

(サイデンステッカー英訳)
From the left came this view: „The story has been with us for a very long time, as familiar as the bamboo growing before us, joint upon joint. There is not much in it that is likely to take us by surprise. Yet the moon princess did avoid sullying herself with the affairs of this world, and her proud fate took her back to the far heavens; and so perhaps we must accept something august and godly in it, far beyond the reach of sully, superficial women.”
And this from the right: “It may be as you say, that she returned to a realm beyond our sight and so beyond our understanding. But this too must be said: that in our world she lived in a stalk of bamboo, which fact suggests rather dubious lineage. She exuded a radiance, we are told, which flooded her stepfather’s house with light; but what is that to the light which suffuses these many-fenced halls and pavilions? Lord Abe threw away a thousand pieces of gold and another thousand in a desperate attempt to purchase the fire rat’s skin, and in an instant it was up in flames – a rather disappointing conclusion. Nor is it very edifying, really, that Prince Kuramochi, who should have known how well informed the princess was in these matters, should have forged a jeweled branch and so made of himself a forgery too.”

 かぐや姫をウェイリーはLady Kaguya、サイデンステッカーはmoon princessと訳した。かぐや姫に関する「はるかに思ひのぼれる契り高く」を、ウェイリー訳はnobly elevated both in thought and conductと曖昧だが、サイデンステッカー訳はher proud fate took her back to the far heavensと正確だ。かぐや姫の求婚者たちについてはウェイリー訳の方が正確で、「蓬莱」をサイデンステッカーは省略したが、ウェイリーはFairylandと的確に訳している。
 中宮の御前では絵合せの勝負がつかないので、帝の御前で決勝戦が行われ、光源氏が描いた須磨の絵日記が満座の感動を呼び、斎宮女御側の勝利が決定したのである。  】

(「三藐院ファンタジー」その八)

 近衛信尹は、文禄三年(一五九四)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の渡海などに関連して、後陽成天皇より勅勘(勅命による勘当)を蒙り、薩摩国の坊津に三年間配流となった。慶長元年(一五九六)、勅許が下り帰洛したが、慶長三年(一五九八)、秀吉死去、そして、慶長五年(一五九六)、関ヶ原の戦いと、時代は、次の徳川の時代へと変動して行く。
 この関ヶ原の戦いの翌年、信尹は左大臣に復職する。その慶長六年(一五九七)の『三藐院記』の正月(一月)十五日の条に、次のような記載がある。

【細雨、大聖寺殿(大聖寺恵仙女王)、竹裏殿(入道良恕親王)、二条(昭実)殿、九条(兼孝)、光照院殿(尊貞尼、信尹の異母妹)、此五御所へ御礼返しに参了、 】

 この「竹裏殿」が、当時、御所近くにあった「曼殊院」の門跡(竹内門跡)の「良恕法親王(1574-1643)」で、現在地(左京区)の曼殊院は、次の「良尚法親王(1622-1693)」の時代となる。この曼殊院門跡は、北野天満宮を管轄下に置き、「後陽成院・後水尾院文化サロン」と、殊に、関係の深い門跡は、次の三人の方となる。


http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9B%BC%E6%AE%8A%E9%99%A2

【〇覚恕法親王(1521-1574):天台座主。後奈良天皇皇子。1537年(天文6年)、曼殊院門跡と北野天満宮別当職を継承。1557年(弘治3年)、准三宮。1570年(元亀1年)、天台座主。翌年、織田信長が比叡山を焼き討ち。1574年(天正2年)死去。墓所は曼殊院宮墓地。著作は『真如堂供養弥陀表白』『金曼表白』など。金蓮院准后。
〇良恕法親王(1574-1643):天台座主。1525年(大永5年)曼殊院で得度。1643年(寛永20年)死去。
〇良尚法親王(1622-1693):曼殊院中興。天台座主。八条宮(桂宮)智仁親王の第二王子。1627年(寛永4年)曼殊院に入る。1632年(寛永9年)後水尾上皇の猶子となる。1634年(寛永11年)親王宣下。得度。1646年(正保3年)から1650年(慶安3年)まで天台座主。1656年(明暦2年)、曼殊院を現在地に移転。1692年(元禄5年)引退して天松院と号す。翌年死去。 】

 この「覚恕法親王」については、元亀二年(一五七一)の、信長の「比叡山焼打ち」という日本史上に残る虐殺寺事件時の、信長に対峙した天台座主(第百六十六世)として名高い。和歌・連歌等を好み、北野天満宮と関係の深い、禁中の和歌連歌の会などには常に出席し、その一端の「覚恕百首」が、下記のアドレスで閲覧できる。天正二年(一五七七四)、覚恕法親王は甲斐にて客死、享年六十の生涯であった。

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0020-01223&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E8%A6%9A%E6%81%95%E7%99%BE%E9%A6%96%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=1

 「良恕法親王」は第百七十世の天台座主で、こちらも、下記アドレスの「良恕百首」を今に残している。

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%e8%89%af%e6%81%95%e7%99%be%e9%a6%96

 この「良恕法親王」の発句で始まる「賦山何(ふしやまなに)連歌」の「表八句断簡」が、
下記アドレスの『古田織部と慶長年間のかぶき者』(古田織部美術館編・図録)で、その題目だけが紹介されていた。

http://sengokudama.jugem.jp/?eid=4895

41 表八句 断簡 「賦山何連歌」 曼殊院宮良恕法親王(東)・高倉(薮)嗣良・甘露寺時長・勧修寺経広・岩倉具起・覚阿上人他

(追記)  「賦山何(ふしやまなに)連歌百韻」(表八句断簡)

【 賦山何連歌

発句 わか草の種まく/ころか春の山    東
脇  まがきの野べの/かすむあさ霧    嗣良朝臣
第三 しづかなる日影に/蝶やねぶるらん  時長
四  風吹きすさぶ/園のくさむら     経広
五  霧はたゞ竹の/下道立ちこめて    具起
六  行く々さむき/秋の関越え      覚阿上人
七  を鹿なく月に/ゆふべのかり枕    良暁
八  みだれておもき/はなの萩か枝    良秀

 「若草の種まく頃か春の雨」を発句とする山何百韻連歌の表八句部分。各行二行書は、連歌の懐紙の書き方である。連歌最初の懐紙の端作に興行の年月日などを記すことになっているので、この懐紙にもあったはずであるが、端作と賦物との間が空いていたため、掛軸に不似合いと考えた者が、賦物以前を切断したのであろう。
 発句作者の「東」は、曼殊院宮良恕法親王(一五七四~一六四三)。後陽成天皇の弟。脇の「嗣良朝臣」は、高倉(藪) ) 嗣良。第三の「時長」は不明。四句目「経広」は、勧修寺経広
(一六〇六~一六八八)。勧修寺晴豊の孫にあたり、はじめ坊城俊直と称し、勧修寺光豊の養子。寛永八年(一六三一)参議となる。五句目「具起」は岩倉具起(一六〇一~一六六〇)。久我の分家岩倉家の二代目当主。六句目の「覚阿上人」(生没年不明)は、時宗の僧で、遊行三十五世。関白英次の帰依を受けた。京五条の豊國寺(後、法国寺)の開山となる。「良暁」「良秀」は不明。興行年次も不明である。
※高倉(藪) ) 嗣良(一五九三~一六五三)は、四辻公遠の五男。猪熊教利の弟。中絶していた高倉家を範遠(猪熊教利)が継いだが、範遠は山科家に移り、その後を継いで再興した。寛永十四年(一六三七)十に月、高倉から藪へと改姓した。  】(『古田織部と慶長年間のかぶき者』(古田織部美術館編・図録)。なお、濁点を付など、若干の補訂をしている。)
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