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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(十二) [抱一の「綺麗さび」]

その十二 「紅葉図」(池田孤邨筆)

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池田孤邨筆「紅葉図(表)」一本 一七・九×五〇・五 太田記念美術館蔵

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池田孤邨筆「紅葉図(裏)」一本 一七・九×五〇・五 太田記念美術館蔵
【 画面を埋め尽くす赤く染まった紅葉が鮮烈な印象を与える。対する裏面は数枚を散らすのみで、表裏で対比的な構成をとる。多くが異なる形で、多様な品種が描かれていることがわかる。なお、楓は染井の植木屋・伊藤伊兵衛の五代目政武が『古歌僊楓』(宝永七年=一七一〇に稿成る、三十六種記載)をはじめ、和歌とあわせて品種を解説する書を発行し、格調高い植物として江戸の人々に紹介された。孤邨が様々な種の楓を描き得たのは、江戸時代の園芸文化のなかで紅葉が注目されていた背景が考えられる。裏面に署名「孤村三信繪」、印章「(印文不明)」(墨文重郭方印) 】
(『鴻池コレクション扇絵名品展(図録)』所収「作品解説(赤木美智稿)」)

 これは一本の扇子の「表」と「裏」の孤邨の「紅葉図」である。この「表」と「裏」との画面形式の代表的なものに「屏風画」があるが、大小の差はあるが、「扇子」と「屏風」は極めて類似の画面形式ということになる。
 しかし、「屏風」が建物の室内の可動性のある障壁(間仕切り)としての用途に比すると、「扇子」は「団扇」と同じく「人力で風を起こす日常用具」として、「屏風」よりも、随時、手元に置いて使用する身近なものということになろう。
 そして、「団扇」と「扇子」との違いは、「屏風」と同じく、「折り畳む」(開く・閉じる)という機能を備えている。この扇子の種類は、以下のアドレスのものを掲載して置きたい。

http://www.j-nis.com/kanaya/sensu/sen-shu.html

【 扇子には大別して、薄板を綴ったもの、紙を貼ったもの、絹等布地を貼ったものに分けられます。
 薄板を綴ったものは白檀扇(びゃくだんせん(涼を取る・装飾用))と桧扇(ひおうぎ(儀式・装飾用))。
 紙を貼ったものは、夏扇(なつせん(涼を取る・装飾用))、茶扇(ちゃせん(茶道用))、舞扇(まいおうぎ(舞踊用))、祝儀扇(しゅうぎせん(婚礼用))、豆扇(まめせん(人形・装飾用))、能扇(のうおうぎ(能・狂言用))、有職扇(ゆうそくせん(儀式用))、香扇(こうおうぎ(香道用))など。
 絹等布地を貼ったものは、絹扇(きぬせん(涼を取る・装飾用))となります。 】

 絵扇は、一般的には、夏扇の装飾用の「飾り扇子」(扇子立てに立て掛ける)で、用途的には「贈答用」に使われる場合が多いものであろう。
 上記の孤邨の「紅葉図」扇子を、この「飾り扇子」として、「屏風」のように、その「表」と「裏」とを区別して飾るという使い分けは扇子の場合は一般的にしないであろう。これは、やはり、手に取って、「裏」面の絵図と「裏」面の絵図を見比べるという、扇子の特性を十分に考慮して描かれたものなのであろう。
 上記解説中の『古歌僊楓』については、下記アドレスで閲覧することが出来る。

http://opac.ll.chiba-u.jp/da/engeisho/2622/?lang=0&mode=&opkey=&idx=

【 池田孤村(孤邨)(いけだこそん)  
没年:慶応2.2.13(1866.3.29)
生年:享和1(1801)
江戸後期の画家。名は三信、字は周二、号は蓮菴、煉心窟、旧松道人など。越後(新潟県)に生まれ、若いころに江戸に出て酒井抱一の弟子となる。画風は琳派にとどまらず広範なものを学んで変化に富む。元治1(1864)年に抱一の『光琳百図』にならって『光琳新撰百図』を、慶応1(1865)年に抱一を顕彰した『抱一上人真蹟鏡』を刊行する。琳派の伝統をやや繊弱に受け継いだマンネリ化した作品もあるが、代表作「檜林図屏風」(バークコレクション)には近代日本画を予告する新鮮な内容がみられる。<参考文献>村重寧・小林忠編『琳派』
(仲町啓子)   】
( 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について )

(再掲)

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-09-02

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酒井抱一筆「紅葉図扇面」紙本金砂子地著色 一幅 三六・五×五三・五㎝
【 団扇図と同様、画面を斜めに幹が横切り、左右から色づいた楓の葉が垂れる。朱、黄口の朱、橙とその色の変化は友禅文様のようである。バックに厚く金砂子を蒔き、その装飾効果を高めている。幹には楓の樹肌の斑模様をたらし込みにして描き、そこに白線で縁取った苔をつけてアクセントをつける。この際立った明快な彩色と黒ずんた幹や枝できりっと締めるあたり、色彩画家抱一の面目躍如としたあとがうかがわれる。この図は他にやはりこのように濃彩で綴られた幾つかの扇面画組物があったであろう。その中から一枚別れたものと考えられ、しかも未使用の扇面であり、同組物中他の扇面の華麗さも想像されて惜しまれる。
落款は「抱一筆」、朱文瓢印「文詮」がある。  】
(『抱一派花鳥画譜三(紫紅社)』所収「本文・図版解説(中村渓男稿)」)

 抱一の没する一年前(文政十年=一八二七、抱一、六十七歳)に、水戸候徳川斉修の茶席に招かれた時の、抱一の「(後坐) 掛物(菊紅葉・等覚院抱一筆・讃清人藩世恩石韞玉)」がどういうものかは定かではないが、上記の「紅葉図扇面」の楓の紅葉の下に菊(白・黄など)が描かれたものと思われ、そして、抱一の、これらの「紅葉」図の多くも、やはり、『古歌僊楓』などの、当時の園芸文化の流行が、その背景にあるのかも知れない。
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