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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(十八) [抱一の「綺麗さび」]

その十八 「藤図扇面」(蠣潭筆・抱一賛)

(再掲)

蠣潭・藤図扇面.jpg

鈴木蠣潭筆「藤図扇面」酒井抱一賛 紙本淡彩 一幅 一七・一×四五・七㎝ 個人蔵 
【 蠣潭が藤を描き、師の抱一が俳句を寄せる師弟合作。藤の花は輪郭線を用いず、筆の側面を用いた付立てという技法を活かして伸びやかに描かれる。賛は「ゆふぐれのおほつかなしや藤の茶屋」。淡彩を滲ませた微妙な色彩の変化を、暮れなずむ藤棚の下の茶店になぞらえている。】(『別冊太陽 江戸琳派の美』)

 鈴木蠣潭の、この「藤図扇面」は、江戸随一の藤の名所、亀戸の天神の藤かという印象を抱いていたが、これは、抱一・蠣潭・其一らが住んでいた根岸の雨華庵の近辺の「藤寺」の別称を有していた「円光寺」の藤のようである。
 下記のアドレスで、その円光寺(藤寺)が紹介されている。

https://kogotokoub.exblog.jp/27286656/



藤寺.jpg

【▼台東区根岸一~五丁目のうち。
 かつては呉竹の根岸の里といわれた閑静な地で、音無川が流れ、鶯や水鶏(くいな)の名所だった。地内に時雨ヶ丘、御行の松、梅屋敷、藤寺などがあった。文人の住居や大商人の寮などの多かったところである。
▼光琳風の画家で、文人としてきこえた酒井抱一、町人儒者亀田鵬斎、『江戸繁盛記』の著者寺前靜軒をはじめ、文化・文政頃からこの地に住んだ有名人ははなはだ多い。
  山茶花や根岸はおなじ垣つづき 〔抱一〕
 明治期には饗庭篁村(あえばこうそん)、多田親愛、村上浪六、幸堂得知、正岡子規などがここに住んだ。有名人である点では、ここに豪壮な妾宅をかまえていた掏摸の大親分仕立屋銀次もひけはとらない。  】北村一夫著『落語地名事典』(角川文庫)
【天王寺の前の芋坂を進んで鉄道を越える。通りに出た右角にある羽二重団子の店(荒川区東日暮里五ー54-3)は、文政二年(1819)に創業し、藤棚があって藤の木茶屋といわれた。餡と醤油だれの団子を供す。圓朝人情噺にも登場し、明治以後文人にも親しまれた。
 このあたりから根岸の里(台東区根岸)になる。元は今の荒川区東日暮里四・五丁目と一緒に金杉村といったが、明治二十二年に音無川以南が下谷区に編入されて、今の根岸一~五丁目になった。呉竹の里ともいい、台東区根岸二ー19~20が輪王寺宮の隠居所御隠殿の跡である。公弁法親王が京から取り寄せた訛りのない鶯数百派を放って鶯の名所となった。 】
吉田章一著『東京落語散歩』(角川文庫)


http://arasan.saloon.jp/rekishi/images/edomeishozue1709.jpg

根岸・円光寺(藤寺)

http://arasan.saloon.jp/rekishi/edomeishozue17.html

江戸名所図会 巻之六 第十七冊 → 上野・入谷・根岸・千住

抱一「藤・蓮・楓図」.jpg

酒井抱一筆「藤・蓮・楓図」三幅 絹本著色 各幅一〇八・〇×三五・〇㎝
MOA美術館蔵 → A図

 この抱一の「藤・蓮・楓図」(三幅対)の、右幅の「藤図」は、上記で紹介した根岸の藤寺・「円光寺」の藤とすると、左幅の「楓図」は東叡山「寛永寺」近辺の楓と解したい。とすると、中幅の「蓮図」は、「不忍池」の蓮ということになる。

光甫「藤・蓮・楓図」.jpg

本阿弥光甫筆「藤・蓮・楓図」三幅 藤田美術館蔵 → B図
 これは、本阿弥光悦の孫の本阿弥光甫の「藤・蓮・楓図」(三幅対)である。抱一の「藤・蓮・楓図」(A図)は、琳派の原点の「光悦→光瑳→光甫」の、茶道・書画・陶芸・彫刻をよくした法橋・法眼に叙せられた「空中斎(くうちゅうさい)光甫(こうほ)」の、この「藤・蓮・楓図」(B図)の模写絵なのである。というのは、抱一の「藤・蓮・楓図」(A図)の中幅「蓮図」に、「倣空中斎之図 抱一暉真筆」の款記があり、空中斎こと「光甫の図に倣った」ことを明言しているからに他ならない。
 しかし、光甫には「藤・牡丹・楓図(三幅)」(東京国立博物館蔵)もあり、これも加味されているのかどうかは定かでではない。この光甫の作品は、次のアドレスで閲覧することが出来る。

https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0066137

鶯蒲「藤・蓮・楓図」.jpg

酒井鶯蒲筆「藤・蓮・紅葉図」三幅 山種美術館蔵 → C図

 抱一と小鶯女史の養子で、雨華庵一世・抱一の後継者になる雨華庵二世・鶯蒲の「藤・蓮・楓図」である。これは、抱一の「藤・蓮・楓」(B図)の模写絵のような作品かというと、この鶯蒲の作品も、光甫の「白藤・紅白蓮・夕もみぢ(三幅対)」(山種美術館蔵)の模写絵のようなのである。下記のアドレスでは、その絵図は収載されていないが、『琳派一・花鳥一(紫紅社)』所収「作品六八 藤・蓮・楓図」で紹介されている。

http://dramatic-history.com/art/2008/japan/rinpa/exh-rinpakara08.html

 ここで、この光甫の「白藤・紅白蓮・夕もみぢ(三幅対)」(山種美術館蔵)を紹介すると、どうにも、謎が深まるばかりなので、それをカットして、抱一の「藤・蓮・楓図」(A図)は、冒頭に再掲した、鈴木蠣潭の「藤図扇面」を念頭に置いての、蠣潭供養の三幅対の「藤・蓮・楓図」と解したいのである。
 即ち、抱一の「藤・蓮・楓図」(A図)の「藤図」(右幅)は、冒頭の蠣潭の「藤扇面」(「ゆふぐれのおほつかなしや藤の茶屋」)の、その蠣潭「藤扇面」への語り掛け、その蓮図(中幅)は、その「極楽浄土」の釈迦三尊像を踏まえ、その楓図は、その安らかな「西方浄土」を願う、抱一の蠣潭「その人」への供養の語り掛けと解したいのである。
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