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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』周辺(その三) [三十六歌仙]

その三 浄通尼と桜井基佐

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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「三 浄通尼」(姫路市立美術館蔵)

https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1507
歌人(左方三) 浄通尼
歌題 山月入簾
和歌 秋の夜のつゆの玉だれひまをあらみ もりくるものは山の端の月
歌人概要  足利義晴母

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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「二一 桜井基佐」(姫路市立美術館蔵)

https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1490
歌人(右方二一) 桜井基佐
歌題 萩聲驚夢
和歌 さびしさの種をぞうゑし宵々に ゆめおどろかす庭の荻原
歌人概要  室町中期の歌人・連歌師

(画帖周辺その三)→ 『酒井抱一と江戸琳派の全容(求龍堂)』所収「酒井抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』と『柳華帖』について(岡野智子稿)」

【 添書   
雨花庵抱一誌 「文詮」(朱文瓢印)
此集外三十六歌仙は、後水尾の天皇のおり居させ給ひし/時の御すさミにして/東福門院の御屏風の色帋にさせ玉へかし/なりとて武人各座にをさめしを写置ものなるへし  】 

 この抱一自身の「添書」に記載されている「後水尾天皇」と「東福門院」との、この二人のうち、この「東福門院」が、この「集外三十六歌仙」の編纂関連には大きく関わっているように思われる。

【 後水尾天皇(ごみずのおてんのう)
[生]慶長1(1596).6.4. 京都
[没]延宝8(1680).8.19. 京都
第 108代の天皇 (在位 1611~29) 。名は政仁 (ことひと) ,幼称は三宮,法名は円浄という。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院藤原前子 (太政大臣近衛前久の娘) 。慶長 16 (11) 年受禅,即位した。元和6 (20) 年将軍徳川秀忠の娘和子を女御とし,寛永1 (24) 年皇后宣下,中宮とした。しかし朝廷に対する幕府の圧迫が激しいため,同6年中宮和子所生のわずか7歳の興子内親王 (明正天皇) に譲位し,以後明正,後光明,後西,霊元天皇の4代にわたって院政を行なった。慶安4 (51) 年剃髪。学問を好み,詩歌にすぐれ,歌集『後水尾院御集』 (原名『鴎巣集』) がある。修学院離宮は天皇の造営にかかるものとして有名である。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。 】

https://kotobank.jp/word/後水尾天皇-66160

【 東福門院(とうふくもんいん)
[生]慶長12(1607).10.4. 江戸
[没]延宝6(1678).6.15. 京都
後水尾天皇の中宮和子。父は徳川秀忠,母は浅井長政の娘徳子。徳川氏は『禁中並公家諸法度』を公布して朝廷を押える一方,婚姻政策で朝廷を懐柔しようとした。元和6 (1620) 年和子は 14歳で女御となり,寛永1 (24) 年皇后に冊立されて明正天皇をはじめ,2皇子,5皇女を産んだ。同6年院号宣下,後光明,後西,霊元の3天皇の養母となった。陵墓は京都市東山区今熊野の月輪陵。 】

https://kotobank.jp/word/東福門院-104089

(歌人周辺その二)→ 「集外三十六歌仙( 続々群書類従本による)」

浄通尼 → 室町幕府十二代将軍足利義晴の母
桜井基佐(さくらいもとすけ) 生没年未詳 通称:中務丞・弥次郎・弥三郎 法号:永仙

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motosuke_s.html

生国は摂津・越中・下総など諸説ある。康正三年(1457)九月七日の「武家歌合」に正徹・心敬らと共に出席しており、正徹一門の歌人であったと見られる。主に連歌師として活動し、初め心敬の、のち宗祇の門に入ったかと言う。文明~明応頃、宗祇らと共に連歌会に出座。晩年は山城に住した。永正六年(1509)十二月の連歌会が判明する最終事蹟。家集『基佐集』、句集『基佐句集』がある。

(基佐の一句)

  萩聲驚夢
さびしさの種をぞうゑし宵々に ゆめおどろかす庭の荻原(集外三十六歌仙)

【通釈】秋風に蕭条と葉音を立てる荻叢に、夜ごと夢を破られる。庭に植えたのは外ならぬ寂しさの種だったのだ。
【補記】「荻原」は荻の茂みを指す歌語。「原」すなわち「広い平らな地」の意は無い。

(歌人周辺メモ)

 浄通尼と桜井基佐との接点は不明であるが、共に、当時の地下歌人として名を馳せていた二人と解したい。ちなみに、この「集外三十六歌仙」は、次のように分類することも出来るのかも知れない。
【連歌師=十五人】心敬・宗祇・宗長・宗牧・宗養・宗碩・肖柏・兼載・兼与・小幡永閑・里村紹巴・昌叱・玄陳・心前・松永貞徳
【武将=十四人】東常縁・大田道灌・三好長慶・安宅冬康・毛利元就・北条氏康・武田信玄・北条氏政・今川氏真・伊達政宗・細川幽斎・木下長嘯子・小堀遠州
【地下歌人=八人】正徹・津守国豊・浄通尼・桜井基佐・蜷川智蘊・正広・尚証・佐川田昌俊

(参考)→(集外三十六歌仙 / 後水尾の上皇 [編]) → 早稲田図書館蔵(雲英文庫)

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e0028/index.html

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浄通尼(狩野蓮長 画)

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桜井基佐(狩野蓮長 画)

(参考)「東福門院和子の涙」→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『東福門院和子の涙』は、宮尾登美子による日本の時代小説。『家庭画報』(世界文化社)にて1990年4月号から1993年3月号まで連載され、加筆を経て1993年4月に講談社で刊行された。1996年9月に講談社文庫が刊行(上下に改版、2016年2月)。

(あらすじ)

徳川二代将軍・秀忠の末娘・和子(まさこ)は、武家から朝廷へ嫁いだ初めての女性だった。「幸運の姫君」と称えられる傍らで、彼女は朝廷の冷たい仕打ちに耐え忍び、心から笑った日はなかった。和子が8歳の頃から、16歳で朝廷へ嫁ぎ、72歳で崩御するまで仕え続けた今大路ゆきが語り手となり和子の生涯が語られる。

(登場人物=抜粋=徳川和子と後水尾天皇)

徳川和子(とくがわ まさこ)→東福門院和子(とうふくもんいん まさこ)
本作の主人公。お江与と秀忠の末っ子、第八子。大変な難産の末に産まれた。生来より天真爛漫な気質で、不思議と周りをも明るくしてしまう性格。幼い頃より「朝廷へ嫁ぐ」ことを念頭に育てられ、大御所・家康の死と先帝・後陽成上皇の死が相次いだことや、およつご寮人が既に二子をもうけていたことが問題となり、婚儀は延期されたものの、16歳で京へ。後水尾天皇付きの典侍らにより、寝所への招きを伝えられないなど嫌がらせを受け、入内から2年以上経って初めて寝所を共にした。後水尾天皇が和子より年上の多数の女御たちと床を共にする中、わずか28歳でお褥下がりとなるなど、後水尾天皇を取り巻くほかの女人の存在に悩み続けたが、一切弱音を吐かなかった。一の宮・興子内親王のほか、7人の子をもうけた。

後水尾天皇(ごみずのおてんのう)
後陽成天皇の三の宮。兄2人が仏門へ入れられたため、108代天皇として即位する。乳児の頃、陰陽頭の占いで、歴代の天皇の中でも一際光り輝く星を頭に戴いていると予言された。凛々しい顔立ちに、逞しい骨格の男子。
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